あらかじめ失われた恋人たちよ [DVD]
「あらかじめ失われた恋人たちよ」、この抒情的で詩的なタイトルは、今作で共同監督との触れ込みながら、主に脚本を担当した劇作家清水邦夫によるものである。当時新宿で断続的に芝居を打っていた清水は、若者から人気があった。そう言えば、当時の演劇仲間である蜷川幸雄や蟹江敬三も今作の端役として出演している。
71年にATG映画として製作された今作は、当時東京12チャンネル「ドキュメンタリー青春」のディレクターとして注目されていた田原総一朗の劇映画監督作として、そして桃井かおりの映画デビュー作として知られているし、TBSラジオ「パック・イン・ミュージック」のパーソナリティだった林美雄により、「八月の濡れた砂」「恋人たちは濡れた」「青春の蹉跌」ら同時代に世に出た70年代の日本の青春映画の傑作と肩を並べて紹介された事も記憶にある。
田原と清水は岩波映画出身。既にそれぞれテレビと舞台のフィールドで脚光を浴びていたふたりが、映画でしか出来ない事をやろうとした事とは何だったのか?
饒舌な放浪青年石橋蓮司が日本海を旅するうちに、加納典明と桃井かおりの聴覚障害を持つ○○のカップルに出逢い、三人で旅を続けるうちにいつしか共鳴し、言葉の空しさを知る、、、。
言葉に対する沈黙の優位性を物語るようなテーマだが、79年の初見時は、まるで71年当時の若者たちの心の閉塞感、喪失感と政治の季節が終わり観念的アジテーションの上滑り的空虚さを隠喩しているようにも思えた。
観念的な台詞が応酬されるような舞台と違いリアリティを求める映画と言う芸術媒体に、舞台人である清水は興味を持ち、同じく石橋は映画の空間に戸惑いながらの撮影だったらしいが、今見直したら、恐らく今作自体が、えらく観念的で時代を感じてしまうんじゃないかな。
高橋和巳や魯迅を引用しながら全編喋りっぱなしの石橋。絶えず饒舌で言葉によってコミュニケーションを図る事で自己の存在と社会との関わりを確認していくような感覚は、今日に於けるネット上でのツイッターやチャットを通じた媒介へと変遷しているが、製作から40年経た今日、若い世代がこの映画を観てどう感じるのか興味がある。
製作発表直前に今作への出演が決まった桃井かおり。当時、ロンドンからの帰国子女で異性とは手を握った事もないような良家のお嬢さんだっただけに、脚本を読んで凄く悩んだらしい。撮影時、こんなにめったやたらと裸にならねばいけない理由を田原に聞くと、周囲からやたら「実存だ!」などと訳の分からない事ばかり言われたと言う(笑)。
これは、信頼するレビュアーのアメリさんから、以前NHKBSでの桃井かおりインタビュー内で本人が語っていた事を教えて頂いた情報。いかにも今作の撮影風景を物語る逸話だと思うので、紹介させて頂きます。アメリさん、ありがとうございます。
DREAM PRICE 1000 西田敏行 もしもピアノが弾けたなら
釣りバカと、個人的には昔1242KHzのラジオで何か話していた、
そんなイメージが兎角先行していた西田敏行氏でしたが、
曲を聴いてみるとこれが驚き。落ち着いた、なかなかいい声です。
曲について云えば、「もしもピアノが弾けたなら」を筆頭に、
切なかったり、優しい感じの曲が盤を占めてます。歌の歌詞と
氏の声質がうまくかみ合っている、聴いてみてそう感じました。
巧く云えませんが、恋愛に係る歌でありながら嫌味が無い感じです。
賢いオッパイ (集英社be文庫)
桃井かおりの本は、エッセイにしても小説にしても、かなり不思議な印象を受ける文章が多い。普通の小説やエッセイとは違う、どっか浮遊感のある、夢心地のような不思議な世界。どこまでが本人なのか、全部本人なのか、フィクションとノンフィクション、その辺りもまったくぼやかされていて、でも感じるのは、『これが桃井かおりって人だよなぁ』と言う雰囲気。捉えドコロのない感じが、桃井かおりと言う人を表している気がします。文章も桃井流と言うか、言葉の選び方がとても個性的であり、詩的であり、一度ハマればどこまでもハマりそうな文章です。しかしエッセイの割りに、簡単に読めるような本ではなく、ちょっと難解な感じで読みづらいです。ただ誰それのタレント本と言う括りからは個性的過ぎる程の、唯一無比の存在である桃井のエッセイは、『桃井かおり』と言う存在を強烈に印象づけている気がします。