放射能と理性 なぜ「100ミリシーベルト」なのか
今、放射能汚染の問題がこんなにも騒がれているのは放射能が目に見えないものであると同時に
人々の放射能に関する理解が不足しているからだと思う。
著者の提唱する「月100ミリシーベルト」という数値は日本人にとって驚くべき値であるが、放射
能に対する必要以上の恐れが人々の間にあるのも事実である。
難しい内容も例えなどを使って分かりやすく説明してあるので読みやすい。あくまで一つの意見と
して捉えるべきではあるが、ぜひとも多くの日本人に読んで欲しい一冊。
ナタリア2
初めて友人がyou tubeで紹介してくれた「いつも何度でも」を
聴いてナターシャグシーの澄んだ声に魅了され、不覚にも目から
涙が出てしまいました。
早速帰ってから妻にも聴かせ、最新アルバムを購入しました。
「防人の歌」も良いですね。
通勤の車で聴いていて癒され、気持ち良く朝の仕事に取り組めます。
心が豊になったようです。
原発事故を問う―チェルノブイリから、もんじゅへ (岩波新書)
もんじゅから思い出されるチェルノブイリ。これがこの本のテーマでしょうか。しかし、話の大部分はチェルノブイリです。筆者はチェルノブイリの専門家、といっても過言ではないような人みたいですし。
まずはチェルノブイリともんじゅとの共通点について。2つ挙げられています。
1.「想定外」の事故と対応の遅れ
これはひょっとしたら、福島原発にもあてはまるかもしれません。「想定外」の揺れによって原子炉が被害を受け、にも関わらず政府の対応は遅かったですからね。
2.通報の遅れに始まる意図的情報操作
これは福島原発でもあったのでしょうか。私にはわかりかねます。
チェルノブイリは「日本では絶対に起こりえない事故」らしいです。大多数の認識としては。しかし筆者の認識は違っています。実際、福島の事故もレベル7ということで、一応は同レベルです。もっと早くにこの認識を改めていれば、と思わずにはいられませんでした。ついでと言っては何ですが、福島でもあったな、と思った表現を引用しますね。「放射線汚染の無間地獄」です。つまりは風評被害ですね。あ、似てるなとこの点でも思いました。
さて、チェルノブイリ事故について簡単に語ります。この事故は人為的だと私は思っていました。ただ、事故そのものは原子炉の欠陥が原因らしいです。しかし、その後の対応が被害をさらに大きくしたとはいえます。例えば、情報規制ですね。「パニックは起こすな、機密を保持せよ」。これが政府の方針だったとか。そりゃ被害も大きくなりますよ。あとは、原発作業員の認識の甘さですね。原子炉が壊れたということをしっかりとわかっていた人はわずかだったみたいです。そのせいで、無意味な復旧命令により多くの命が犠牲になりました。では誰を責めればいいのか。筆者は政府を責めています。そういえば、チェルノブイリの一号炉と三号炉は稼働中ということです。政府の良識を疑いたくもなります。
最後に地元の石川県が挙げられていたのでその話。長々とは語りません。つけこまれる「地方の窮状」。この表現に尽きますから。結局、大都市には作られず、地方ばかりが犠牲になる原発事業。何かと問題アリですね。
最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか
ニュースや新聞記事で、「なぜ、未然に防げないのだろう」と不思議に思うことが頻繁。(私の近所にニチアス工場があります。あの事件以来、本当に近寄るのが怖いです。幸い、周辺住民から肺気腫を発病された方は今現在いませんが)
労働時間が長いせいか、注意力が散漫になり、思いがけない事故が多発中の現在。複数の目があれば防げたミスが多かったでしょうし、もし、万が一の事故でも救急処置ができたでしょう。
この本は、19世紀から、20世紀にかけての50余りの大事故を分析し、その原因を解明したものです。少し前の事故を取り扱ってますが、根本的な要因は今と少しも変わらないようです…
例を少し挙げると… スリーマイル島、チェルノブイリ原発事故、インドの殺虫剤工場の周辺住民7000人が死亡した、毒ガス事件。これらは全て、深夜から早朝に起きた事故だそうです。
たった一つのミスだけで「最悪の事故」にはならず、他の複数の原因があると本著で書かれています。
また、この本は大事故の要因だけでなく、実際に事故を防げた例も掲載されています。同じ形式の旅客機事故でも、機長が機体の弱点を見抜き、事前に対策を講じていたために墜落を防げた例。強度不足の建物への対策の違いが運命を分けた例など。起こった事故との、その差を明確に示しています。
人間は失敗をするという前提で、どんな対策を設定するべきか、この本が示唆する内容は興味深いものです。