裁判官の爆笑お言葉集 (幻冬舎新書)
事件の判決報道は至ってシンプルである。
「地裁は被告に懲役3年、執行猶予5年を言い渡した」「高裁は一審の判決を退け、被告に無期懲役を言い渡した」
それを見て我々は「なんであの犯人がこんなに軽いんだよ」とか、「結構重い罪になったんだな」と思う。
ところがそこには、法廷でどんなやり取りが交わされたのかをうかがい知る術はない。
有名な大事件を除き、詳細が報道されることはまれだ。
だから犯人が反省しているのかどうかさえわからない。
そのため、冒頭のような疑問になる。
この本はまず裁判官のセリフありきで、何故そのようなことになったのかを事件の簡単な説明つきで説明している。
見開きに1つの事件が収められており非常に読みやすい。
また、内容は決して「爆笑」ばかりではない。
むしろ、犯罪を甘く見る犯人への、裁判官の強烈な皮肉がヒットしたと思うようなものばかりだ。
腹が立つからこの人の罪を重くします、可哀想だから軽くしてあげます、ということが許されない分それは
判決を言い渡した後ポロリとこぼれる。
犯罪を憎む、血の通った人間の言葉がそこにはある。
裁判員制度の導入決定からこちら裁判がクローズアップされるようになった。
ただ裁判員として裁判に接するよりも、傍聴という形で犯罪に触れるのもまたいい経験なのではないだろうか。
名裁判官はあなたの地域にも必ずいるはずである。
――ただ、この言葉を被告人席で聞きたくはないけれども。
幻とのつきあい方(初回限定盤)
なんだ、こんなもんかと。シャウトしたり激しい曲はやってくれないんだ。ふ〜ん。と思って垂れ流して聞いていた…そして5回…そして10回…そして15回… 繰り返して聞いている自分が居ました。 これは…また中毒性たっぷりなアルバムを作りやがったと見事にハマってしまいました。やはり耳に残るリフが健在で異世界に居るような良い感覚に浸ります。ゆらゆら帝国から旅に出発した坂本慎太郎を楽しめます。
スピリチュアルにハマる人、ハマらない人 (幻冬舎新書)
香山さんの著作は全部エッセイだと思っているので、「実証」とかは期待していない。人や社会に関するわかりやすい心理学的な分析を話半分に聞いていると、ときどき鋭い指摘がなされて、なるほど、と納得できるのがとてもよいなと思っている。
今回、おもしろかった指摘は二点。ひとつは、江原さんはスピ・ユーザーの「移行対象」的な存在だ、という解釈である。世の中の趨勢が何かと「自己責任」主義に傾斜するなか、「私」が弱体な人々はその「私」をありのままに肯定して社会とのつながりを維持してくれる超越的な何かを期待している。そこで、江原さんは若い女性にも受け入れやすいソフトな超越者として機能しているのではないか、ということだ。特にあの「トトロ」のようなちょっと異形ながら親しみやすいルックスがうまい具合にハマる、ということ。社会を変える可能性が狭まってくるなか内面的な自己肯定感に救いを求める人々の増える時代を念頭におきながら、江原さんのあのルックスに幼児にとってのぬいぐるみのような「移行対象」性を見て取ったのは、精神科医的ならではのおもしろい指摘である。
二点目は、スピリチュアルと「宗教」の相違に関して。香山さんは、スピ・ユーザーは「私」の幸福さがしにばかり意識が向いており自分以外の他者たちの暮らしがよりよくなっていくことにはあまり興味がないがゆえに、あくまで他者の幸福を前提とした自己の幸福(多くの場合は自己犠牲が肯定される)を理念とする「宗教」には近づきたがらない、と分析する。これは何とも斬新な指摘で、というのも、宗教研究者のあいだでは、スピリチュアル的なものと宗教的なものとの連続性を認める見解が割と多いからだ。むろんスピ現象は社会の個人化の結果だろう、という認識はあったが、けれどそれでも別種の「つながり」は常に希求されているだろう、という考えが支配的である。そんな中、徹底した「私」中心主義的な文化としてスピ現象をばっさりと切ったのは(このばっさりぶりが暴論に感じられるにせよ)、問題提議として非常に興味深い。
こうした香山さんの指摘に反発して何か考える人が出てくることも確実だろうから、本書は一つの試論としてよかったと思う。
ゴースト ニューヨークの幻
基本的にライチャス・ブラザーズしか印象にありません(強いて言えばラストシーンの切ないオーケストラ)。ただ、それだけでも素晴らしいサントラと言えましょう。
若くして亡くなったパトリック・スウェイジの少年のように真っ直ぐな心と若き日のデミ・ムーアの宝石のような瞳を思い浮かべながら聴いてください。
ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本
この本は「初心者向け」と言うより、「英語が嫌いな人向け」ではないでしょうか。
「英語はまず英文法、五文型、前置詞に冠詞に…」と聞くとゲンナリする人も多いでしょう。それが愉快な猫と男の子、そして適度に短いお話ならば…?
結果として同じ事を勉強するのでも、味付けが変われば美味しくたべれるかも?
言い方を変えただけ、絵や雰囲気でごまかしているだけ…という見方も出来ますが、楽しく覚えるというのは一つの有効な方法。この本をきっかけに、英語に対する気持ちを変えられるならそれで良いのでは、と思います。
(個人的には発音が判らない単語は覚えるのが難しいと思うので、「読むだけで良い」という意見には賛同しかます。自然に英語を耳にする環境に身を置いていた作者氏は、自分の状況が恵まれている事に気付いてなかったのでは?)