切らずに治すがん治療―最新の「放射線治療」がわかる本
私は末期の前立腺がんと告知された。手術はできない、放射線治療もできない、とのことだった。初期であれば、その病院の標準治療は手術である。しかし、重篤な副作用が一割程度の人に起こる可能性があるとのことだった。幸いなのか、不幸なのか、病期がもっと重かったので、手術で悩むことはなかったが、もし初期だったら、悩んだろう。恐らく放射線治療を受けたと思うが、決断は結構厳しい。セカンドオピニオンを取ることすら、家族、周囲に反対された。
多くの患者は、まず本書を読み、放射線医にセカンドオピニオンを取ることをまず考えた方が良い。本書で、まず知識を正しく得ること、そしてどこに行くべきかを考える手がかりとして。
内部被曝の脅威 ちくま新書(541)
急性被爆は、発熱・下痢・紫斑・口内壊死・脱毛・出血の症状を呈し死んでいく。
内部被爆は、病気の合併を重ね、「原爆ぶらぶら病」と呼ばれるように体力・抵抗力の低下や疲れ・だるさを訴え、病気にかかりやすく、かかると重症化する率が高くなるとの症状が出る。
内部被爆については、ホールボディカウンターしか計測器はないが、それで測れるのはγ線のみでα線を外側から測る機械もなく、死後の解剖で測るしかない。
動物についても計測は行われているが、種類によって異なるので、ヒトでどうなるかは不明である。
広島・長崎で国は、12年間患者を放置しつつづけた挙げ句、1857年にようやく医療法を制定し、被爆者健康手帳の交付を行ったが、直下での被爆、爆発後2週間以内の入市・所定区域外の遠距離被爆、多数の被爆者の治療・介護者、当時これらの胎内にあった者と4種に区分し、被爆者の中に差別を持ち込んだばかりか、認定基準が爆発時などの高線量放射線による外部被爆だけで、体内に摂取した放射性物質が組織沈着後α線・γ線を長期間放射し続ける低線量放射線による内部被爆は無視されており、現在も認定訴訟は行われている。
放射線は、天然と人工も同一視されているが、2万年も共存してきた天然放射線では体内で認知し排出するメカニズムを得ているのに比べ、人工放射線では微量元素を取り込むように体内沈着を起こして濃縮してしまうとの肥田医師の説は、ストロンチウム90が骨に、セシウム137が骨・肝臓・腎臓・肺・筋肉に、ヨウ素137は甲状腺に、トリチウムやコバルトは全身の臓器に集中して蓄積されるが、自然放射線ではカリウム40が体内に存在はするもののそれが蓄積されることはないと判明しているだけに説得力がある。
それでも内部被爆者が放置されているのは、現在の医学で放射線の人体に対する影響が殆ど不明で、体外被曝も含めて治療・診断さえ充分に出来ないこと、米政府・軍部がヒロシマ・ナガサキの被爆者に対する医学的被害を軍事機密とし、日本の医療関係者には診療以外の調査や組織的対応を放棄させたこと、米のICRP(国際放射線防護委員会)が、「一定閾値以下の内部被爆は微量故に人体に無害」と主張し続けたことによると、肥田医師は言う。
広島・長崎に47年設立されたABCC(原爆調査委員会)は、ヒバクシャを兵器被害を探るためにのみ利用し、16万の被爆者に対し、どこでどんな状況で被爆したかを数年かけて一人ひとりにインタビ ューし、亡くなった7500人を解剖した。
現在も母集団の12万人について、亡くなるたびにその死因を追跡し2万人を2年に1度健康診断しているし、8万人の被爆二世、2800人の胎内被爆者の調査も継続中であり、放射線以外でも、疫学調査としてこれを超える規模のものは世界に存在しない、といわれるが、治療は行わなかった。
原子力産業においてもICRPは、「全ての放射線被曝は、合理的に達成できる限り低く保つこと」と誤魔化してきた為に、1945年以降、ECRR(欧州放射線リスク委員会)が再検査咲したところ、子ども160万人・胎児190万人を含む6130万人が死亡している。
第二次世界大戦から冷戦末期まで、兵器用プルトニウム生産工場と してアメリカの核戦略体制を支えてきたハンフォードエリア(ワシントン州)では、9つの原子炉がコロンビア川のほとりに建設され、操業が停止するまで2万5千発分の核弾頭をまかなえるプルトニウムを生産し、スリーマイル島の1万倍の放射性物質を放出していた事が87年に開示された政府の機密文書で明らかにされており、連邦政府と州政府当局もハンフォード近くのコロンビア川を世界で最も放射線に汚染された川と宣言している。
その風下地区は、政府の灌漑整備によって米有数の穀倉地帯となり、今もそこでは50年代に通常の450倍の放射線が検出された地域と政府が「お墨付き」を与えた地域とが、1本の鉄条網で仕切られ、りんご、じゃがいも、小麦、コーン、牧草、蕎麦麦などの生産がなされ、その殆どがファーストフード産業と日本の商社に買われている。
そこに住む農民たちへの人的被害も多く、近年ハンフォード付近の住民に対して行われた、その全てが医療記録により証明されている広範な疾病にかんする健康調査によると、乳ガンと肺ガンの発生率が3倍、甲状腺と白血病が10倍に増加していることが判った。
「ハンフォード死の一マイル」と呼ばれる地域では、ここに暮らす世帯の100%で、ガン、心臓疾患、先天性異常のいずれかが見られ、先天性の障がいがある子どもも多数出産されている。
しかしそこでは、「アトミックピクルス」や「プルトニウムポーター」なる地ビールが販売され、ハンフォードのマクドナルドの駐車場の壁にはなんとあろうことかあのマクドナルドのMのロゴ・マークとともに「Atomic Food」と大きく書かれ、ウェイトレスはコーラを運ぶときに「はい、プルトニウム入りのコーラですよ」と笑顔でもってきたりする。
これは地元の人が、放射性物質を「良いもの」とし、原子力産業を「誇るべき仕事」と捉え、本当に放射能は人体に影響ないと洗脳されているからである。
かつて水俣では発症した患者に対し、「チッソ様に迷惑がかかるから、水俣から出て行け!」との言葉が同じ住民から浴びせられたが、ここはそれを上回る酷い状況だ。
現在、ハンフォードサイトは、ワシントン州環境部・(原子力委員会改め)米国エネルギー省・米国環境保護庁の3者でクリーンアップが進められているが、汚染物質が地下水へ到達し、コロンビア川に流出しているとみられ、そこを遡上する鮭はアラスカを回遊することが知られている。
米は更にエネルギーとしての濃縮ウランを作る過程でその約5倍出るウラン238など劣化ウランを使って、劣化ウラン弾を作り、放射性が弱く核兵器ではないと強弁して、ニューメキシコの兵器テスト場やボスニア、イラクでヒバクシャを生み出し続けている。
イラクでのヒバクシャについては、WHOの疫学調査もUNEP(国連環境計画)の環境調査も行われておらず、化学的な根拠としての健康被害は認められていないが、イラクの医師のデータでは、小児白血病が4倍、成人の癌発生率18倍に増加とされているのであるが、米は「フセインが使った化学兵器や風土病の可能性がある」とし、NATOを含め20カ国を超える気に国へ販売している。
また疫学調査をしても、広島・長崎では遺伝的影響や内部被爆の遺伝的影響は否定されてきている。
日本は販売リストに入っているとはいえ、未だ所持していないが、米軍嘉手納弾薬庫には保管されているし、米海兵隊は、米国内の訓練では使用できないにもかかわらず、1520発もの劣化ウラン弾を95年12月から翌年1月にかけて、沖縄の久米島から28km離れた、鳥島という無人島で発射訓練し、それを隠し、1年後になって日本政府に通報した。
政府が公表したのは、米国のメディアが報道してからの、通報から更に1ヶ月後であり、今も劣化ウラン弾1300発余が未回収で、ウランが溶け出す危険性をはらんでいる。
統計学者のJ.M.グールドは、全米3053郡が保有する50〜89年の40年間の乳癌死者数を全てコンピューターに入力し、増加している1319郡に共通する増加要因を探求し、それが郡の所在地と原子炉の距離に相関していることを発見した。
即ち、原子炉から100マイル以内にある郡では乳癌死者数が5〜6倍に増加し、以遠にある郡では横ばい、または減少していた。
鎌仲ひとみ氏も02年、日本での相関関係を調べたところ、日本全土が原発を中心にして100マイルの円を描くとすっぽり入ってしまい、原発のある県とない県を比較することができなかったが、戦後50年間(1950〜2000年)の日本女性の全国及び各県別の乳癌死亡数をグラフ化し、原爆実験やチェルノブイリの事故が東北四県と茨城、新潟両県の乳癌死亡の異様な増加と関連することを示している。
私は、何年か先には原発が以前同様の稼働をすると考えている。
その理由を「核戦争は2度と起こってはいけない」ことは体験上分かっていても、「なぜいけないのか」を知的にまとめて自分の認識とすることは出来ておらず、自覚が浅いからこそ、「ヒバクシャを作らない」とのメッセージが伝わらない、との肥田医師の言葉や、放射能汚染による被害を表現する言葉を未だに私たちは持ち得ていない、との鎌仲氏の言葉から引く。
放射線の被害は目に見えないからこそ意識と身を震わせるほどの恐怖を全ての人が持たなければ、経済的利益の為に再開されよう。
既に地震から半年が過ぎ、放射能が制御できているわけではなく、汚染は続いているというのに、福島に近い東京でも、女性は不安があるようだが、男性は忘れてしまったかのようであるし、鎌仲氏が撮った上関町でも、原発推進派が当選した。
私の言葉が、将来杞憂に終わり、放射性物質が体内に入ったら、例え微量であっても危険であることが常識となっていることを願う。
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朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)
人災だったという。運ではない。運命でもない。人災の悲惨な結末がどのようなものであったか、唯一の被爆国である日本で、被爆の恐ろしさを無視した安全教育が徹底されていない国と企業の中で、何が起こったか我々は記憶すべきである。
事故の内容ばかりではない。どのような治療が行われたのか、一体人体は被爆によってどのような影響、どのような損傷を負わされたのか、「遺伝子に傷がつく」ということが何を意味しているのか、我々はその事実を知り、恐ろしさを認識し、新しい世代に語り継ぐべきである。
「憲法9条」云々と論議する前に、きちんとなされるべき教育、守られるべき安全、語り継ぐべき戦争と平和、利益追求の前に徹底されなければならない、一人一人の命の尊厳に対するありようを、もっと自分達の手に取り戻さなければならない。
この本の中の写真を目を背けずに見るべきである。少なくとも大人はきちんと知っておかなければならない。そして、伝えなければならない。あれからまだ、10年も経ってはいない。なのに風化させてはいけないものを、忘れようとさせる者達がいる。少なくとも、記録されたものをこの本で、映像記録で繰り返し伝えて欲しいと思う。