東海道中膝栗毛 上 (岩波文庫 黄 227-1)
弥次さん喜多さんと言えば、日本人なら一度は耳にしたことのある名。
若年層には疎遠になりつつあるが、宮藤官九郎が"真夜中の弥次さん喜多さん"を映画化するなど、
この名が完全に忘れ去られるのはまだまだ先になりそうだ。
弥次郎兵衛・喜多八の二人を軸に据え、道中起こる様々なドタバタを描いて行くというのが基本的な筋。
オチをもって単体で完結できる滑稽譚の連続で、それぞれの話に前後の連絡は殆どないが、
これに道中としての連続性を持たせる事で一つの物語として成立している。
会話を主とし、情景をトと受ける体裁は洒落本、笑いの質には狂言の影響が強く感じられる。
現代風に言い換えるなら「弥次喜多コント」と呼んでもいい。
膝栗毛の模倣本は星の数ほどあるが、それらと一線を画す本家の魅力は、
弥次喜多双方の"キャラが立って"おり、互い譲らぬ掛け合いの面白さがある所。
これに按摩・とめ女・駕篭かき・馬子・瞽女など、道中行き交う様々な人々が絡んで、
二人のしくじりを一層華やかな笑いに盛り上げる。
彼らはそれぞれの身分に合った口調や方言で喋り、活き活きとリアルな生活感に溢れている。
江戸期は言うまでもなく封建社会であったが、反面庶民が台頭した時代でもある。
お伊勢参りを代表に庶民の旅も一般化、中世文学的な情緒から離れた自由闊達な紀行も残されるようになる。
膝栗毛は洒落本と狂言をベースとしつつ、そのフィールドを「旅」へと広げている。
糞尿譚まで交えた笑いは卑俗とも言えるが、そんな要素もまた庶民的なものとして受け入れられ、
200年を経てなお語られる歴史的作品になった理由と言えそうだ。
上巻では宮から七里の渡しを終え、桑名に至るまでを収録。
セイコー(SEIKO) ポケット型歩数計 五街道 WZ750N
友人とダイエットしたくて購入しました。
単に「●●●歩」というより「●●宿まであと2km」とある方が
歩きたくなる不思議。
宿場目当てに追加で散歩するようになりました。
宿場の間隔がちょうどよいので、手軽な目標でいいですね。
表示もシンプルで飽きがなくてよいと思います。
ただ動作性に難あり。設定ごとに押すボタンがそれぞれ違うので
いまだにマニュアル見ないと操作できません。
使いこなすまでイライラするかも。