共和政の樹立 (小説フランス革命)
カバーの装幀画では槍、斧を振りかざした群衆が罵声をあげながら示威行進している。一人の男が槍先に貴婦人の生首を刺し、これ見よがしに掲げている。この首はマリー・アントワネットの友人であるランバル大公妃である。
1792年、8月10日事件(テュイルリ宮殿襲撃)。
続く9月2日から6日までのいわゆる9月虐殺。
この絵は9月3日の出来事であった。
タンプル塔に幽閉されたルイ16世一家の目前、人々は槍の先に刺したランバル大公妃の首を、ぜひお見せしたいというのです。撲殺され死体をバラバラにされた貴婦人の首………王にというより王妃にと。そう言われて「(ルイは)窓枠をよぎる黒いものが、はじめて人間の首にみえたからだ。しかもなるほど女だ。ブロンドの髪の毛が煉瓦色の血で汚れている。声はなかった。が、王妃が悲鳴を上げたのがわかった。」
そして1792年12月、ラストのルイ16世の断頭台まで、本著「共和政の樹立」で描かれた5か月は流血の惨劇が連続する。とくに9月の反革命主義者に対する虐殺行為は公安当局ではなく、粗暴で野卑な大衆の手によるものだけに読んでいて、やりきれなさが募る。どこかおかしい。「正義」が貫かれているとは思えないこの暴動である。やりすぎではないかと、犠牲者には同情の念を禁じ得ない。
「フランス革命とは。ブルボン王朝の圧政下にあった市民が、啓蒙思想の影響、アメリカの独立に刺激されて起こしたブルジョア革命」という教科書的な受け止め方はダメ押し的にここで一蹴された。
フランス革命は始まりであるバスチーユ襲撃から、1792年の惨劇など血なまぐさい暴力を伴いながら推進されたが、その暴力的側面はサン・キュロットと呼ばれる階層(主に手工業者、職人、小店主、賃金労働者などの当時のパリの貧困層)が担ってきた。王侯貴族・聖教者対第三身分という革命初期の対立構図は変化し、第三身分の中で資産階級とサン・キュロットの対立が先鋭化してくる。
佐藤賢一はこの対立と妥協の構図を詳細に語るのである。ここがすこぶる面白いのだ。
サン・キュロットのエネルギーはそれが無定見な殺戮へ暴走するとしても革命推進にとっては欠かせないものである。
政治舞台でのリーダーたちは、革命初期のミラボーも含めて、「共和政の樹立」の主役であるダントン、ロベスピエールはもとよりブルジョワ寄りのジロンド派の面々、ルイ16世に至るまで、サン・キュロットとどう向き合うかに政治生命がかかっていたのだった。
あのミラボーとはなんであったのかをわたしは遅ればせながらこの巻で具体的に理解できたような気がする。ミラボーはやがて先鋭化するブルジョワとサン・キュロットの対立を緩衝する装置として王権維持に固執したのだと。
彼らは、ある時はサン・キュロットの不満を煽りそのエネルギーの矛先を誘導し、しかし明日には暴走によって自分の首が絞まることにもなる、そして暴発を抑える作戦も必要になった。ある面、暴力に政治が振り回されているのだ。ダントン、デムーラン、ロベスピエール、ロラン夫人、ロラン、ルイ16世がそれぞれの立場にある微妙な心理の綾をじっくりと味わおう。
サン・キュロットは多数者であり、貧しい。教養は低く、情緒的であり感情的である。富める者をうらやみ、買収や煽動を受けやすい。素朴で常識的で感動をよぶカッコイイ言葉に弱い。自分の言葉は持たないが、腕力だけはある。何が正義か不正義かを知らず、ただ直感的に「不正を正す」。近視眼的で付和雷同。烏合の衆と化して政策決定に多大の影響を及ぼす。
「小説フランス革命」を読むといつものことながら、遠い昔のよその国のお話とは思えなくなるのだ。
そこでこれから日本はどうなるのだろうと。
ダルタニャンの生涯―史実の『三銃士』 (岩波新書)
東北大学西洋史専攻で修士号を得ている佐藤賢一ならではの、史料分析に基づいたダルタニャン像です。
「三銃士」に描かれた勇猛果敢で友情に篤い好漢ダルタニャンのモデルとなったシャルル・ダルタニャンの一生をいくつかの史料を手がかりに追っていきます。そこから浮かび上がるダルタニャンは、小説中に登場する熱血ガスコーニュ人の姿はそのままに、扱いの難しい要人の護送を命ぜられれば、細やかな配慮によって敵であったはずの護送相手とも意気通じ合う繊細な側面も持ち合わせていました。
小説ではともすれば猥雑な文章によって読者を物語中に引き込む筆者ですが、このノンフィクションでは比較的抑えた筆致が生き、「史実」のダルタニャンの姿を実に鮮やかに描き出しています。三銃士好き!の人はもっと好きになること請け合いです。
中日ドラゴンズ選手名鑑 強竜大百科2006 [DVD]
やはり原動力は、落合監督の「俺流」ですか。よくもまあ、こんなにバラエティに富んだ人材群が集まったものです。この、DVDは非常にわかりやすいです。今年優勝できたのもこの屈辱があったればこそです。もしかしたら、昨年も優勝、日本一になれたかもしれません。とにもかくにも、まず第一歩が、アジアシーズ。見事に優勝。素晴らしいです。そして、来年のシーズン。俺流がある限り磐石でしょう。
バスティーユの陥落 小説フランス革命 3 (小説フランス革命) (集英社文庫)
第3巻は、運命の1789年7月14日の前日から、パンを求めるパリの女たちの圧力に屈して国王がヴェルサイユからパリに移るまでを扱う。
本巻の約半分は7月13日〜14日に割かれる。なぜバスティーユが民衆蜂起の最大の山場となったのか、そもそもなぜ14日になったのか、そして民衆はどのような犠牲を払ったのか、教えられることが多く、かつ刻一刻と変化する情勢を前にして自分もその場にいるかのような臨場感を覚える。
しかし、7月14日の蜂起が革命となるか、単なる暴動と位置づけられるかは、14日の民衆の勝利だけでは決まらなかった。王が16日にパリを訪問し、8月に議会が封建制廃止を決議し、人権宣言を採択してもだ。軍隊という実力を持つ王がいつ革命弾圧に転じるともかぎらず、実際王の態度は曖昧であり続ける。
そこで、王の権限をできるだけ削ぐべしとする愛国派と、王の権威をもって革命を安泰にすべしとする王党派に議会は割れ、論戦は空転。政治も停滞。遂に台所を預かるパリの女たちがパンを求めてヴェルサイユに押しかけ、男たちの駆け引きを吹き飛ばし、国王を革命の捕囚としてしまうのは、突発的とはいえ痛快事だ。
王の権威のお墨付きを求めるミラボーの信条に、亡父との関係が投影していることが明らかになる等、歴史上の人物の内面が生き生きと描かれるのは前巻までと同じ。パリやヴェルサイユの天気まで筆が及ぶことも。