コンクールでお会いしましょう―名演に飽きた時代の原点 (中公文庫)
時代によってピアノ演奏に求められるものが変遷していきます。
リストやショパンの時代、他人の曲でも自己流に弾くことが求められていました。
アレンジすることで、人々は熱狂した。
ところが録音技術が発達すると、即興は原曲を間違って弾くことと考えられるようになり、
ピアニストは、正確に弾く技術を求められるようになる。
そして現代はプラスα。映画になりそうなその人の人生ドラマが売れる切っ掛けになる。
そして作為的にルックスのいいピアニストを養成しようというビジネス企画すら起こる。
非常に読みやすく、中村さんが等身大で著名ピアニスト達を描くので
芸術家といった重苦しい雰囲気がありません。
両親が音楽家であったバレンボイムは「人間はみんなピアノが弾けるものだ」と信じて
子供時代を過ごしたとか。有名ピアニストなのにそう見えない風貌の写真も載せられていて、
読んで楽しい内容です。
チャイコフスキー : ラフマニノフ:ピアノ協奏曲
新年早々中村紘子とプラハ響のチャイコフスキーを聴く機会があって、感動よもう一度とCDを探して、この録音にめぐり合いました。
チャイコフスキーはサントリーホール、ラフマニノフは大阪シンフォニーホールで収録。それぞれ3時間で仕上がったそうで、2007年に東奔西走、多亡な合間に1日でコンチェルト5曲を弾き翌日はチャイコンの審査でロシアに飛んだことからも納得。プロフェショナルな超人。
チャイコフスキーは腕は冴え俊敏軽妙にしてダイナミック、ラフマニノフはロシアのメランコリー幽愁をに歌い上げています。
ロシア国立交響楽団、指揮エフゲニー.スヴェトラーノフ。共演も多くお互いの信頼も深く好演となっています。
1990年の録音ですが、スタンウェイの陰影も、ロシア交響楽団の押し出しの強靭なダイナミックレンジをしっかり乱れることなく捉えています、大型のオーディオ装置ならば確認できるでしょう。
コンパクトオーディオでも聴いてみましたがこのオーケストラの実在感のある響き特徴は確認できました。
個人的には音が薄くなり勝ちなSACDよりも充実感あるのでないかと思います。
価格もリーズナブル。
チャイコフスキー・コンクール: ピアニストが聴く現代 (新潮文庫)
ピアニスト中村紘子が中央公論に
チャイコフスキー・コンクールについて書き始めたのは、
実に今から26年も前のことだという。
1982年に続き86年もそのピアノ部門の審査員を引き受けた著者は、
まさに当事者でありながら、コンクールというものの存在意義について考え続けていた。
観客に過ぎないレビュアーからすると、
コンクールで優勝したからといって、そう簡単に彼らが当代一流の演奏家を凌駕するような
音楽を聴かせてくれるわけはないから、受賞歴はあまり重要ではない。
しかし世に出るチャンスを渇望している無名のプレイヤーにとっては、
コンクールこそがその機会に他ならない。
コンクールが「正常な才能のための定期的発掘装置」であるという著者によれば、
それは同時に、ある種の異才・奇才とでも呼ぶべき才能は、選からはもれてしまうことになる。
その一方で優勝者がかならずしも超一流になれるとは限らない。
そのような矛盾の中で、審査員であるピアニストは悩んでいるように見える。
当時の時間軸ではソビエトという国がまだ存在していて、
そしてその末期に開催されるコンクール、そして参加者は時代というものに翻弄されていく。
しかし、現代から本書を読んでみても、そこにある問題や著者の洞察は、
少しも古臭いものには感じられないのである。
そういう意味で、本書が復刊された意味は大いにあると思う。
中村紘子 プレイズ ショパン [DVD]
得意な曲を収録したとのことで、流石に良い出来になっていると思う。
それでもスケルツォ2番のような大難曲になると疑問に思う点も少々あるが、彼女のあくまで攻めに出ている姿勢に評価を与えたい。
その他の曲は、プロのピアニストなら十八番となる割と簡易な曲ばかりなので出来は良いと思う。
まあ、それだけ普段CDで聴いている世界的ピアニストが如何に凄いかが分かるというものである。
会場での録音のため、音が響き過ぎている点も少し気になる。