オスカー・ワイルドに学ぶ人生の教訓
18世紀末の超保守的なイギリスで「外国人」「同性愛者」「中産階級出身」という少数派のハンデを超えて活躍した劇作家、オスカー・ワイルドの珠玉の言葉。
「どうでもいい人には、つねに優しくできるものである」
「友人の苦しみに共感するのは誰でもできるが、成功に共感するには、きわめて優れた資質を必要とする」
「その女を愛してさえいなければ、男はどんな女といても幸せなのだ」
等々、人の性の本質を突いたオスカー・ワイルドの言葉が簡単な解説入りで紹介されている。
「超保守的」、つまりは常識という枠に縛られた当時のイギリス社会に生きる人間を引いた立場から観察してきたオスカー・ワイルドの、とらわれのない自由な人間観察から出てくる言葉の数々に、私たちはハッとさせられる。
私たちは、知らない間に社会の「常識」に囚われ、閉塞させられてしまうこともかるかもしれない。
そういったとき、こういった書籍を広げて読む機会を得ることは、意識を自由に解放し、心のありようをリセットするためのよい機会となるだろう。
幸福の王子
オスカー・ワイルドの童話「幸福の王子」と、翻訳者である曽野綾子さんご自身による「あとがき」、
建石修造さんの美しい画からなる作品である。
短編集ではなく、飽くまでも「幸福の王子」一作である。
決定版、と、帯にも記されているとおり、出版社としても自信作のようだ。
この作品は、どのようにも解釈できると思う。
童話というものは、果たして子供に読ませていいのだろうか、と思ったり、
こんなお話を子供の頃読んでいたのか…と、驚くことも多いが、
この作品も、正直、遣り切れなさが一番にきた。
衣食住に困らず、昼間は友達と遊び、夜は舞踏会が開かれていても、王子は元々、宮殿の中では籠の中の鳥だ。
台座に固定された銅像となり、風雨に曝され、サファイアの目を持って、初めて一般の人々の悲しみを知る。
立場上、人生とは呼べないような生涯で、恐らく孤独だったのだろう。本当に親しい人間などいなかったのではないか。
人々を救う為に、刀のルビーをツバメに持っていかせる部分は抵抗なく読めたが、
両目であるサファイアをえぐり、皮膚と衣服である金箔を剥ぎ取って持っていかせるところは、自虐的にも受け取れ、厭な感じがした。
人々を幸福にする為の自己犠牲と呼ぶには、あまりにも人々は移り気で、短絡的で荒んでいる。
王子が身を削って人々に与えても、
かつて美しかった王子がみすぼらしくなると、彼等は、かつてあれほど賛美していた王子に見向きもしない。
葦に失恋し、エジプトへ向かおうとした、使者たる役割を担うことになったツバメだけが、
王子の本質的なものを徐々に理解し、二人の間には共感が育まれ、ツバメは最期まで、いや、天に召された後も寄り添うのである。
そして、天使に選ばれたふたりは、神と共に永遠に生き続ける。
著者がオスカー・ワイルドであり、その人となりを予めよく知っていることから、様々な解釈が可能で、
この作品をただ「無償の愛の物語」として読むことは、正直、難しかった。
しかし、短いが、様々な象徴的意味合いが感じ取れる見事な作品であることは否定しない。
何歳の人でも、どんな立場の人でも、それぞれに感じ取るものがあるだろう。
The Happy Prince and Other Stories (Puffin Classics)
高貴で悲しい王子様、おっちょこちょいで人のいいツバメ、いかにも俗な市議会委員、その演じわけが素晴らしいです。声だけでこんなに表現できるなんて、信じられないくらいです。特にツバメが、かわいいです。でも、バックにかかる音楽が、少し邪魔なのと、原文と比較すると、ところどころ飛んでいるのが残念でした。
新・幸福論 (一般書)
今を生きる者として、先の見えない「ぼんやりとした不安」感、
これから訪れるであろう、暗黒の時代を予感させる事実達に、暗い気持ちに…
ただ、個人的にとても嬉しかったのはセンチメンタルの肯定。
今まで、感傷的になっていた自分の感情を、客観的に見て、恥ずかしいものだと認識していたけれど、
なんだ、感じていて良かったんだと思えました。
アラン『幸福論』 2011年11月 (100分 de 名著)
NHKでのこの手の番組の企画がない限り、アランの「幸福論」のような本は、個人的には多分読まないだろう。私のような感慨を持っている視聴者が多いので、NHKもこういう企画を立てたのだろうと思うのだが、いい企画ではあった。
本テキスト本は決して「幸福論」のダイジェスト版だけではない。アランの生い立ち、人となり、この本の生まれた背景、[ストア学派⇒デカルト⇒スピノザ⇒]と続く彼の考え方の推移等々が分かりやすく書かれている。
「哲学を語らない哲学者」と言われているアランだけど、この「幸福論」も決して「いかにして幸福になれるのか」「幸福って何?!」っていういわゆるハウ・ツー本ではない。
このテキストに引用されているアランの言葉を拾い読みしているだけでも、彼の考えかたが理解できると思う。読めば納得、この本は小難しい哲学書ではなく「癒し本」「人生の応援本」なのだ。
たとえばこのような言葉がある。
・よい天気をつくり出すのも、悪い天気をつくり出すのも私自身なのだ。
・快楽を抑制したから人間は幸福になるのではなくて、幸福であるから快楽を抑制することができる。
・喜びは行動とともにやってくる。
・幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ。等々
実際に「幸福論」を手に取って、アランのプロポをもっと読んでみようかな、と思わせるテキスト本である・・・・・