がれきの中で本当にあったこと わが子と語る東日本大震災
新聞の書籍広告欄で見て短編集のような本なのかと思って買ったのですが,
新聞記事を集めたものでした。
(帯に書いてあるので店頭などで実際に本を手に取れば買う前にわかります)
巻頭には何枚かカラーページがあり,被災地の報道写真集になっています。
また,津波被害のあった沿岸部の簡単な地図も載っています。
とてもわかりやすく読みやすい記事もあれば,
文章がこり過ぎていてわかりにくい記事もあるので,星を1つ減らしました。
「わが子と語る」とのことですが,
新聞記事を寄せ集めただけのような感じもします。
本にするならもう少し取材を追加して焦点を浮かび上がらせてほしかったです。
東日本大震災の記事は毎日普通に地元新聞を読んでいる時にも
その内容に涙があふれてくることがあります。
だから,この本も泣いてしまう箇所が多いです。
そして,地元の新聞社ではないせいか,
よくも悪くもそれぞれの記事にはどこか俯瞰的な雰囲気を感じます。
よそから来た人が取材した,という感じがするのが地元新聞の記事との雰囲気の違いだなと思いました。
がれきの中の天使たち 心に傷を負った子どもたちの明日
映像ですらあれほど衝撃的だった光景を実際に体験し、さらに肉親や友達を失った子どもたちがどれほど深い心の傷を負っているかは想像に難くない。被災地の子どもたちを案ずる思いと共に、がれきの前で笑顔を見せるかわいらしい女の子の写真に惹かれてこの本を読んでみた。
個々のエピソードはもちろん、「命の終わりを突きつけられた子どもたち」というタイトルや数々の写真からも子どもたちの心が受けた傷の深さが伝わってきて、胸の痛む思いで読み終えた。が、それと共に、自らも被災しながら何時間も歩き続けて子どもたちの支援に向かったケアスタッフや医師たちの姿に感動し、またそうした心のケアが阪神淡路大震災の時から続けられ、引き継がれてきているということには、地震大国に住む一人として非常に心強い思いだった。この本をきっかけにこうした活動がもっと世に知られるようになって欲しいと思う。
「子どもたちが必要な心のケアを受けられなければそれは社会的ネグレクト」という医師のことばが強く心に残る一冊だった。
瓦礫の中から言葉を―わたしの<死者>へ (NHK出版新書 363)
実時間に世界の実相を看破出来る数少ない作家・辺見庸氏の3・11論。
辺見氏は3・11の前に朝日ジャーナルに投稿した「標なき終わりへの未来論」で次のように予言しています。
「貧しいものはより貧しく、富めるものはよりいっそうゆたかになるだろう。すさまじい大地震が来るだろう。それをビジネスチャンスと狙っている者らは既にいる。ひじょうに大きな原発事故があるだろう」
実相を読み解ける感覚を持ち、壊滅的な石巻市南浜町で青春期を過ごした辺見氏だからこそ描き得た、我々に3・11を深く思考するきっかけを与えてくれる重要なテキストです。
以下、気になった言葉を文中より抜粋します。
・まさに水と土と火の怒りそのものの、見たこともない、荒ぶれる風景、荘厳なもの、いかめしい
もの、あるいは宇宙的な意思のようなものを感じた。
・地球のほんの一刹那の身震い、咳のようなものが、人類社会の破滅につながることもあるの
ではというふうな認識。宇宙の一瞬のくしゃみが、悪意でも善意でもなく、人間社会、人類社会
の破壊につながるのだということを、考えなければいけない。
・眼前のものはなんであれ過去・現在・未来の気配を孕んでおります。目を見はり耳を澄まさ
なければなりません。
・311によって世界というシミュラークル(模造現実)がはしなくも暴かれたのに、メディアは
またぞろ書き割りのようなシミュラークルを、まるでそれが義務であるかのように悪意もなく
産み出しています。剥き出された風景を凝視し、思いを深めるのではなく、ふたたび皮膜を
かぶせ、コーティングしはじめたのです。
・たぶん、メディアというのは個人の人格や思想の反映ではなく、集合的無意識の反映なので、
死と屍体にはいつまでも親和的になれないのでしょう。死と屍体は例外なく人間の行く末で
あるのに、それを正視せず排除してしまう。
・メルトダウンの事実を報じなかった新聞、テレビは戦後報道史でも特筆に価する汚点でした。
・311の破壊(私はエッセイの中で神話的破壊と書いたことがあります)、ダイナミズムを表す
言葉を誰も持っていなかったこと。これは非常に深刻で重大なことです。
・全てを震災ビジネスが吸収しつつあります。言葉はいま、言葉としてたちあがってはいません。言葉はいま、言葉として人の胸の奥底にとどいてはいません。言葉はいま、自動的記号として絶えずそらぞらしく発声され、人を抑圧しているようです。
・911に際してわらわれが感じるべきだったのは、ボードリヤールの「今後に起こることは退屈
なことだ」ではなく、「これ以上大きなことが起きるかもしれない」という畏れだったのです。
・311後何かが摩擦もなく静かに立ち上がってきています。それを直ちに新型の全体主義または
ネオ・ファシズムと結論づけないまでも、それに通じる急激かつ重大な位相の変化が起きつつ
あることは否定できません。
・惨状の内面化の作業が、大震災と原発事故でどれほどなされたのかわたしには疑問です。
・膨大と無は良く似ていて、いずれも虚無と不安の発生源です。膨大と無の同居、それが残忍な
現代社会の最大の特徴です。
・人は死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。人は死においてひとりひとり
その名を呼ばれなければならないものなのだ。(石原吉郎)
・宮澤賢治の詩「眼にて云ふ」、逝く者の視界にこそ、本物の言葉がありました。その最後の
10行はこうです。
血がでてゐるにかかはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
ただどうも血のために
それを云へないのがひどいです
あなたの方からみたら
ずいぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです
被災病院における発災直後の看護活動 [DVD]
毎年、同じ災害訓練を行っているだけで、
スタッフのモチベーションが上がらず困っていましたが、
このDVDを活用することで視覚的な訓練を行うことができと思うし
より実践的な勉強になる内容でこれからスタッフへの災害意識を高めることを
できると思います。