オラトゥンジ・コンサート
現時点で所在がわかっているコルトレーン最後のライヴ音源。演奏日時・場所は67年4月23日午後4時、NYハーレムのオラトゥンジ・アフリカ文化センター。
オラトゥンジ文化センターとはナイジェリアのミュージシャンであるババトゥンデ・オラトゥンジの名にちなみ、アフリカの文化を後世に伝える場として創設された。完璧な録音ができる場所ではない。外の車のクラクションが聞こえるほどだ。そこにポータブル・レコーダーを持ち込んで、「記録」のために録音され、アルバム化まで35年もお蔵入りしていたテープ。したがって、録音状態は良くない。
残り少なくなった命がしぼりだす、凶暴なまでの、魂の咆哮という表現がぴったりの爆音ライヴ。ロックに例えるなら、キング・クリムゾンのアースバウンドのようだ、と言えば理解してもらえる人が多いのではないだろうか。録音の悪さが却ってコルトレーンの演奏の芯を際立たせる逆説。がんに侵され、3ヶ月後に他界する人が出すエネルギーとはとても思えない。
マイ・フェイヴァリット・シングスは原形をほとんど留めないが、コルトレーンが繰り返し演奏した曲が遺された最後のライヴ録音となったのも奇遇。突然終わる録音が、却って余韻を残す。
Cosmogramma [ボーナストラック・解説付き国内盤] (BRC254)
前作が良すぎたのかな?
・GOLDEN DIVA ・ROBERTAFLACK
大音量で聴けば今でも鳥肌モノです。
アルバム全体の流れも、恐ろしくよくできていた。(と思う)
Los Angelesが相当ツボにはまった人は、
正直退屈に感じるのでは。
啓示 (紙ジャケット仕様)
santanaがalice coltraneとコラボレートした有名な1枚。これは現在の眼で見てもモニュメンタルな録音だったと云えるだろう。
aliceとの共演はsantanaの希望だった由で(その経緯については岩浪洋三さん(!)の手によるライナー・ノートに詳細が書かれている)…当時ロック・スターだったsantanaが、実質はどういう処を見ていたのかがよく判る。何しろその相手が由りによってalice coltraneというのは凄い。バックのメンバーもdave holland、tom coster、jack dejonette達…と完全にジャズ人脈である。
ロック・サイドからの興味のみで聴けば、これは正直かなりキツい作品だろうが、当時のalice coltraneのソロ作を何か1枚でも御存知の方はすんなりと入れるだろう。終始厳かで、かつ穏やかな音空間に満ちている。彼女の当時のソロ作(impulse盤)の中には相当に激烈な演奏も多いのだが、ここでは祈りの様に穏やかな印象を与える楽曲ばかりだ。
aliceはアグレッシヴな後半の1曲でのウーリッツァー・オルガン演奏を除いてハープに専念。夜の大海の、絶え間ないうねりの様な弦楽のアレンジメント…。そして彼女の生み出すうねりの中を泳ぎまわる魚のようなsantanaのギター。
…もしかしたらsantanaはaliceのうねりの中に身を投じるようにして、自己の音(ギター)で祈祷していたのかもしれない。中袋に載っているセピア調で写された一葉の写真。眼を閉じて祈るsantanaを聖母のように優しい眼差しでじっと見つめるalice…。この写真に充満する何ともいえない雰囲気が、まさにこのアルバムの音世界を体現している。こういうコラボレートは有りそうで滅多に無いものだと思う。santanaとalice…。改めて考えても、やはり凄い作品だ。
コズミック・ミュージック
M1とM3がコルトレーン生前・66年の録音。66年コルトレーン・サウンドの特徴である、コルトレーンとファラオ・サンダースのサックスが咆哮するパターンの曲だ。特にM3は冒頭は穏やかなマントラで始まるのに、すぐに混沌としたフリーの世界に突っ込み、最後はまた穏やかになってマントラの唱和で終わる。嵐の合間に一瞬の静寂が訪れる、という私の好きな66年・コルトレーン・サウンドの1例だ。
M2とM4はアリス・コルトレーン、ファラオ、ジミー・ギャリソンにベン・ライリーがドラムとして加わったカルテットで68年に録音した曲。どちらもアリスが作曲し、アリスのピアノがリードする。M2はゴスペル風でアリスの力強いピアノが聴ける。M4は短いが、夫を追悼するかのような静かな曲。アリスの流麗なタッチが冴える。
夫の在世中はバックで支え、死後は夫の遺志を継いで未発表作を適切にリリースし、かつ自らも創作活動を継続したピアニストとしてのアリス・コルトレーンの存在の大きさが光る作品だ。
ライヴ・イン・ジャパン(完全版)
この作品を聴いて初めてJohn Coltraneを聴いて泣いてしまった…至上の愛を聴いても泣かなかったのに…このとてつもなく長く熱い演奏を聴いて泣いてしまったのか?それともColtraneが遥々遠くアメリカから日本に来てくれたことが嬉しくて泣いてしまったのか?多分自分は間違いなくまだ後者だろう。
晩年のColtraneの音楽には[理解]という言葉がついて回るColtrane自身もインタビューに次のように答えている。今は理解できなくとも、いつか突然、あるいは繰り返し聴くうちに理解できるようになる。または全然理解できないままであるかもしれない。そんなものだよ。人生には理解できないモノだっていっぱいあるからね(笑)(インタビューの一部を引用させてもらいました)
自分はまだまだこの演奏を理解できていないと思う。だからこれからじっくり時間をかけて熟聴して理解できるようになりたいと思うし自分の耳はまだ至上の愛の良さは理解できる辺りの耳だと思う。(アセンションでも自分にはまだまだ↓)
この作品は単なるJohn Coltraneの歴史的日本公演ではなく勉強家だったColtraneから日本のリスナーへの贈り物であり宿題だと思った。あなた方には良い音楽を聞き分けられる耳を養って欲しい…John Coltrane…ってね♪
後この商品について、日本盤は高額ですが輸入盤に比べ遥かにしっかりと作られていると思います。日本人が持つ緻密さと高い技術力と購買者に対する配慮を感じました。この位の価格を支払っても納得の商品です。同じ日本人として誇りに思います★★★★★Thank you!