富子すきすき (講談社文庫)
表題作他、五編の短編集です。
一作目、「藤太の帯」は、平将門の首を討ったとして名高い、俵藤太の百足退治の意匠が縫い取られた帯が、藤太に何らかのゆかりを持つ少女四人の間をめぐり、それぞれの生き方に少しずつ影響を与えてゆくという、少し不思議なストーリー。謎めいた古着屋が登場したりして、ドラマで見てみたい感じです。
しかし明るい印象が残るのは一作目のみ。あとの五作はなんとも切ない話ばかりです。
この人と、もし違う場所で出会っていたなら。あの時、自分の気持ちが違っていたなら。
あの時こう言っていれば。そして、あんな事さえ起こらなければ、今頃はー。
「堀留の家」は兄妹のように育った二人の、
「富子すきすき」はあの有名な事件で一家の主を失った家族の、
「おいらの姉さん」は一心に花魁に憧れ続けた置屋の下男の、
「面影ほろり」は幼い頃に体験したほろ苦くも懐かしい思い出を、
「びんしけん」は長く独り暮らしを続ける不器用な男の短い初恋を、
それぞれ、後悔しても戻らないと知りつつ、想わずにはいられない人々の姿が描かれています。
何かがもう少しだけ違っていれば、幸せになれたかも知れない人々。
失ってしまったものに寄せる愛惜の想いは、今も昔も少しも変わっていなくて、一作読み終える度ごとに、涙、涙の一冊でした。
雷桜 (角川文庫)
何とも「爽快感」満点のラヴ・ストーリーです。
この「爽快感」がどこか来るのか考えてみると、主人公の遊の「潔さ」から来ているように思えます。
徳川御三家の側室になることを言下に拒否し、その落としだねである助三郎を一家の秘密にし一切語らず、斉道の想い出として育ててゆくと言う、その心根にある様な気がします。
作者は、そうした遊の人物造形のために、庄屋の一人娘が一歳の初節句に誘拐され、山の中で育ての親の手一つで育てられ、しかも里人との接触を禁止されると言う、非常に特殊な環境で育った「おとこ姉様」として描いています。
その男勝りの気性が、そうした「潔さ」に説得力を与えているように思います。
ラヴ・ストーリーとしても、二人の出会いと別れのシーンが実に美しく、唯一のラヴ・シーンとも言える馬上の接吻のシーンも綺麗に描かれています。
この小説の素晴らしさは、そうした人物造形・状況設定だけではなく、「謎」と伏線を張り巡らせた、完成度の高い作品と言うこともあります。
なかなか読後感の良い、素敵な小説でした。