「独裁者」との交渉術 (集英社新書 525A)
国連って、先入観で語られることがよくあるような気がします。
とくに私たち日本人に多いのは、
「国連は世界各国の上位に存在する超国家機関」
っていうイメージじゃないかな。
ともすると、そういう考え方は、
「何でも国連に下駄を預けてしまおう」
という国連至上主義、悪くいうと思考・判断の放棄につながるのではないでしょうか。
本書の中の明石氏の言葉に、
『大国は自分の都合のいいときは国連を利用し、都合の悪いときはいろいろゴネる』
とあるように、
国連には、各国の利害がぶつかるパワーゲームの場、
という生々しい側面があるようです。
かといって、そういった現実しかないのか、というと
そうでもない。
公正中立をむねとする調停者としての役割を、
苦心しながら果たそうとする理想主義的な側面も、
また確固としてあるようです。
本書では、国連職員として長く活躍された明石氏ならではの視点から、
カンボジア・旧ユーゴ・スリランカ和平についての取組みが語られています。
それ自体ももちろん興味深い話ばかりなのですが、
私自身はむしろ、
「国連の現実をよりよく理解する入門書」としての価値が高いように思いました。
文章は聞き書きの形でとても読みやすいですし、その点もお薦めです。
人道的介入―正義の武力行使はあるか (岩波新書)
どんなテーマでも、キーとなる文献が存在する。「人道的介入」というテーマでは、間違いなく本書は必読文献である。人道的介入に関心を持つ初学者への導入として使うこともできるし、また国際関係を専門に学ぶ者にとっても議論の整理のために有効で、その意味ではオールマイティーな本である。
本書中のメッセージの中で、最も重要なものの一つが「武力不行使=非介入ではない」というもの。ユーゴ空爆などの派手な介入劇のせいで、あれこそが人道的介入の典型という認識は改めなくてはならない。
本書が持つ重要な意義の一つは、安易な国連不要論を峻拒する迫力を備えている点である。人権侵害国の意思に反して行うのが介入であるのだから、そこに入り込む各国の恣意的な思惑はできる限り排除されねばならない。たとえそれが完全には不可能だとしても、それにもっとも近い形にすることができるのは国連をおいて他にない。介入が不幸にして武力行使に至った場合も、それが「正当な例外」だと判断できるのも、国連だけである。