キラークエスチョン (光文社新書)
それほど親しくない人と話をする場合、話がうまく続かず、互いに黙ってしまい気まずい空気が流れるような経験は誰にでも思いあたることだ。
そんな時に本書の内容が頭に入っているとかなり心強い感じがした。
自分の経験則に照らしても「たしかにこんな話題が盛り上がった」というような内容が多く盛り込まれているため、社内のみならず、飲みに行った際初めての店の女性従業員と話すような場合、合コンなどにも応用できそうである。つまり世代や生きてきた環境の違う相手にも有効質問が多いのである。
友達同士で話す機会が多い学生にとっては読む価値は小さいかもしれないが、初対面の相手に話をもたせなければならないケースなどが想定される社会人には非常にありがたい一冊である。
コミュニケーションが希薄化している若年層には特にお薦めしたい。
非属の才能 (光文社新書)
(文章が読みにくかったので書き直してみました。当時評価52/63でした。)
この本は不遇であると思う。それは、この本のメッセージに励まされるのが非属の才能の持ち主だけで、それが限られた人間だけで、大多数の日本人には理解できないから。。。という理由ではもちろん無いと思うし、著者の視野が偏狭で単なる妄想を撒き散らしているから、というわけでもないと思います。
この本がなんとなくピントがずれている感じがしてしまうのは、努力に対する言及が薄いことではないでしょうか。
100冊の本を読みきり時代劇漬けで引き篭もったという町田町蔵などについてはその努力に触れられていますが、町田さんの文学的センスがたった100冊ぽっちの本を読んだくらいで身につくわけも無く、町田町蔵を作り上げた努力は文章で書かれたものからは程遠いと思われます(町田さんの著書は3冊ほど読みましたがどれも面白かったです)。この本はひきこもりを非属の才能の持ち主として賛美することはあっても、ひきこもりをやめた後にまっている、長い試練の道に関しては全く触れていないのです。成功者もたくさん登場されますが、良い面しか書かれていないのも不安になる要素かもしれません。
山田氏のこれまでの作品を振り返ると、氏にとって"一生"努力するべきということは自明であると考えられます。もちろん当然に違いありません。しかし、例えばどこにも属せず引き篭もってしまった非属の才能の持ち主の中で、不断の努力をしつづける才能のある人がどの程度いるか?という点に関しては、タブーとなっているのか、触れられてさえいないのです。それで、冷めた目からは、きれいごとに見えてしまうのではないでしょうか。
アルマジロの木から読んでいてBバージン、アガペイズ、NG、ゼブラーマンに至るまで、(インディゴや水の鳥などを除く明るい話は)みんなある意味努力の天才が主人公でした。ドルフィン・ブレインやココナッツピリオドは他人と明らかに違う能力を持った人間が主人公ですが、どちらも短命に終わってしまいました。私も、山田礼司の描く努力が好きで読み続けてきた一人なのです。
この「(死に物狂いの)努力を当然のものとして扱う傾向」は、「絶薬」にも顕著でした。しかし逆に、これは残念ながら絶薬があまり「説得力」をもって受け入れられない背景でもあるような気がします。絶薬が2になってからも顕著です。もちろん、甘えを許すことが説得力に繋がるべきではないのですが……。
そのような歴史を踏まえて読めば、著者の胸のうちを知ることが出来て味わい深く、☆5つの価値はあると思うのですが、反面そうした理解を強いる本というのはどうかと思いますので、せいぜい☆3つがいいところなのかもしれません。
そもそも大多数の人は山田礼司を読んでないでしょうし……。