脳に悪い7つの習慣 (幻冬舎新書 は 5-1)
脳神経細胞が持つ本能はたった3つのみ。生きたい、知りたい、仲間になりたい、である。
神経細胞が集まって脳組織を構成し、好きとか理解するといた機能を生み出すが、この機能を守るための本能は「自己保存」「統一・一貫性」である。
スポーツ選手などがゴールに近づくと、「そろそろ終わりだ」と脳の前頭前野と前頭連合野の血流が少なくなって、タイムが落ちてします。ゲームなどをやっても正解率が落ちてしまう。
ニーノ・ロータ映画音楽集
映画音楽というとやはりオリジナルサウンドトラックが珍重される面があるが、この曲集はその期待を裏切らないものだ。
特にオリジナルを大きく変えたようなところはなくほぼオリジナルのスコアに近い状態で再演されている。
たくさんの映画音楽の名曲を生み出したロータ作品の中から、切っても切れない創作上のパートナーだったフェリーニ作品を二本(8 1/2、オーケストラリハーサル)。
同じイタリアを代表するヴィスコンティから二本(若者のすべて、山猫)。
そしてアメリカを舞台としつつもイタリア・シチリアの家族の大河ドラマでもあるコッポラの「ゴッドファーザー」シリーズ。
ロータの名曲集としてたった一枚に収めろというのが無茶な話だが、それでもこの作品集の選曲は絶妙だと言える。
しかも演奏しているのは名指揮者リッカルド・ムーティーにミラノスカラ座。一体何の不満があろうか。
甘い生活 デジタルリマスター版 [DVD]
ヘリで空輸されるキリストの像。「信仰」までもはや「物」と同様に扱う意味しか無くなったことの象徴のようです。
目も眩むような華やかで絢爛なローマを舞台に、アメリカ女優や、大富豪や、妖しげな人物達と、ゴシップ記者の主人公マルチェロが交わりつつがまるで酔いどれ船のように翻弄されていくというのが大筋です。
華やでありながら何処か腐敗臭の漂うような「退廃的な危うさ」を孕んだパーティーシーンや乱痴気騒ぎは、所々に東洋的なエッセンスが効果的に散りばめられ、日常の倦怠から逸脱するような妖しげな輝きを放ち、観ていて何故か恐いくらいに現実感がありません。
その後豪奢と退廃にまみれたマルチェロの前に「理想の指針」となるような堅実で非の打ち所のないような、古くからの友人が登場しますが、その友人は、自身の家庭の「完璧な平和」を自らそれを崩壊させてしまうかのように、家族を巻き込んだ衝撃的な自殺を遂げます。
絶望を絶望で塗りたくって全てを消しさるような乱痴気騒ぎで夜を明かし、マルチェロは朦朧とした意識のまま夜明けの浜辺に彷徨い出て、自らが幾度も味わい、浸り続けた「腐敗と崩壊の象徴」でもあるかのような、巨大なおぞましい「エイの死骸」を引き揚げます。
海岸でかつて出会った少女が、マルチェロにに語りかける意味は何なのでしょうか。マルチェロは、少女の言葉を聞き取ることもままならぬまま仲間と去ってしまいます。そしてそれを見送る少女の微笑みの一点の濁り気も無い無垢な美しさ・・・・。
結局人は、何かを「知り過ぎる」ことは「幸福」とは言い切れぬものであり、その「知り過ぎる」代償によって受ける心身の腐敗は、第三者から見た「甘い生活」などとは程遠い「凄惨なもの」であり、我々を蝕むだけのものでしかないと言っているような気がしてなりません。
観終わった後、「エイの死骸」と「少女の微笑」が目の裏側で幾度も幾度も交錯し、呆然としてしまいました。
恐ろしい作品です。
甘い生活 プレミアムHDマスター版 ブルーレイ [Blu-ray]
表層のにぎやかしとは裏腹に、ただ一人で生きていて、ただ一人で死んでいく人間の哀歓と虚妄をマストロヤンニ扮するトップ屋の寄る辺なき生をつうじて描き出した巨匠の不朽の名作です。
それにしてもこのモンクローム映像に登場する女性たちのなんという美しさ、そして輝かしさよ! あらゆる映画のあらゆるショットの頂点で光り輝いているのが、このフィルムに定着されたアヌーク・エーメやアニタ・エクバーグの銀色の映像です。
夜な夜な繰り返される、甘いどころか、狂気と痛苦に満ちたらんちきパーティの仇花の壮絶さよ。1960年現在のイタリアでこの名監督の胸に宿っていた生と性についてのニヒリズムの深さと絶望は、ほとんど底なし状態にあったのでしょう。パーティが果てて海辺に出た一行の前で不気味に見詰める巨大なエイの碧眼は、おそらくきっとその象徴なのです。
入り江の向こうに朝の光を浴びて立つ少女。その新しい未来からの呼びかけはついにくたびれ果てた主人公の耳に届くことなく、この長大な病める魂の内省録はようやっと幕を下ろすのです。
死んだ魚の眼を見ている死に掛けの人々 蝶人
女の都 【HDマスター】[Blu-Ray]
本作、初めて観ました。以前のDVDを観ていないので比較はできませんが、とてもきれいな画質だと思います。特典は4分間のメイキング映像のみ。チャプターはありません。説明書も簡単にキャスト、スタッフを記したリーフレット一枚です。1980年作、フェリーニ作品としてはパワーダウンしているそうですが、個人的には充分でした。
めくるめく映像世界を思わせる甘美な音楽(ニーノ・ロータではありませんが)に乗って、映画は始まります。大きくうねるように、滑らかに連なる美しい映像!「大きなうねり」に身をゆだね、これでもか!という映像を楽しみました。
フェリーニの分身、主人公「スナポラツ」(マルチェロ・マストロヤンニ)...。
列車内で同席した女性に導かれ、「女の都」へ向かいます。観客も同時にフシギ空間への『旅』が始まります。
緑ゆたかな美しい森の中に、コツゼンと現れるホテル。スナポラツは吸い込まれるように入って行きます。と、そこにはフェミニストの大集団が。男はボロクソに、ちょっと書けない(upされない)言葉が恐ろしい勢いでまくしたてられます。(フェミニストを揶揄してはいるのですが、表現に愛嬌があると思うのです。)
あとはもう『大変なこと博覧会』! 「大変な人」と「大変なこと」が、スナポラツに襲いかかります! あまりのもの凄さに多少たじろぐものの、私などは笑いころげてしまい、終わってみれば美しい大スペクタクルでした。
終わり近くのたいへんに美しい『滑り台』のシーン...。
しばし少年の日々を体験(回想)するスナポラツは、安堵に満ちた表情を浮かべます。このシーン以外では、終始途方にくれた(あるいは苦渋に満ちた)表情が、印象的でもありおかしくもありました。フェリーニの女性に対する思いを投影しているのでしょうね。
女の私にとっては、なにやら居心地が悪いながらも楽しい二時間あまりでした。
※DVDの仕様について補足:「本編」→「約4分間のメイキング映像」→「本編」とエンドレスの作りです(?)。もちろん止めれば良いのですが...。作品自体のラストがちょっとそのような感じなので、非常にフシギな気分になるのです...。