やまぐちりこ やまぐちりく 最初で最後の姉妹共演 [DVD]
先月発売された写真集とほぼ同じ衣装、同じ撮影場所ですね。
写真集+SEX1回、手コキ1回といった感じです。 しかも、1回しかないSEXシーンは4Pとは言えないかもしれません。
違うベットで別々の男優と絡む二人を交互に撮っている、といった感じです。
個人的にはやまぐちりこファンなんで、久しぶりに彼女の最新AVを見れたので★3つで。
写真集を買ったり、やまぐちりこ、やまぐちりくファンでない方はレンタルを待ったほうがいいかもしれません。 長文失礼しました。
最後の物たちの国で (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
アンナが綴る、届くはずもない、読まれるはずもない手紙に描かれる絶望的な世界、というのはキングの「刑務所のリタ・ヘイワース」を思い出す。かの小説の主人公たちが刑務所の中で出会う悪夢的状況は、アンナが遭遇する悪夢と似通ったものがある。でも決定的に違うことは「刑務所...」のアンディとレッドは「外は違う」ことを知っている点。
アンナの置かれた状況はさらに容赦ない。あまりにアンナにとって不利で、勝負ははじめから分かっている。「刑務所...」のアンディが希望を持ち続け最後に偉大な勝利を収めるのに対し、アンナはどうだろう。アンディは、きっとまだどこかで生きているだろう、と思われるのに対し、アンナは読み終わった直後にもうこの世にはいないだろうと、思われてしまう。でもそんなアンナもささやかながらしぶとく希望を持ち続けている。超人的なアンディより親しみやすいアンナが持ち続ける希望、それは私にとって、より人間の持つ希望の価値を訴えるものであった。
すごい悲しい話なんですが、いい話です。しみじみしたいときにお読みください
最後のイエス
なぜユダヤの議員ヨセフはイエスの遺体を引き取ったのか、公生涯以前のイエスの人生にはなにがあったのか、イエスの墓はなぜ空だったのか。
日本を代表するイエス研究者、佐藤研さん。けれども、この本には論文だけでなく、著者が「なぜ」「なにが」と想像力を働かせたフィクションが収められているところがユニークです。
論文にも佐藤さん独特の考察が見られます。ひとつは、イエスには「きわめて鋭敏な『罪性』意識があった」(p.45)という点です。「自分がこうした『乞食たち』やそれと類似の者たちの群れの中にいないことをどこか疼きとして感じ、社会的・職業的立場ゆえの〈負い目〉を敏感に感取したに違いない」(p.3)。
しかし、イエスは飛躍したと著者は言います。「自らの罪性に沈む自己の存在が実は『神の王国』によって無限に赦され、生かされるものとして把握された」 (p.47)。
ところで、近代のイエス研究者たちは「イエスを人間として扱いながらも、己のイエス像を徹底的に理想化することで、無意識的にではあれ、かつての『神』としてのイエスの後光を補填してきた」(p.126)と佐藤さんは指摘します。
イエスも人間として成長したはずであり、福音書にもそのプロセスがうかがえるが、それを無視して、そこに語られるイエスのあらゆる姿を無批判に良しとしてきのではないか、と言うのです。
たとえば、「だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す」(マタイ10:32)などには、威嚇やイエスの自己絶対化がうかがえます。
ところが、ゲツセマネ以降、これが姿を消すのです。「他を威嚇する態度も・・・他者へのあからさまな批判も自己弁明も・・・自己肥大化の言説も脱落している。イエスはただ孤独を貫き、沈黙を守り・・・この『最後のイエス』の姿こそ・・・これまでの自己の姿への訣別ではないか・・・これほどおそろしい『批判』の刃もない」(p.139)。
最後の誘惑 [DVD]
福音書のシーンのリアルな描写と、既成の宗教画イメージの尊重。といえば、映画「パッション」でメル・ギブソンが目指したものですが、すでに、マーティン・スコセッシがやってます。磔刑の図は、「パッション」よりも考古学的に正しいものです。虐待されるイエスが裸なのは、ちょっとイラク刑務所を思い出させます。聖書を知っていても、知らなくても、それなりに理解できます。より知っていれば、より理解できます。
ゲツセマネのシーンは、もう、「パッション」そっくり。
ということは・・読めてきました。メル・ギブソンさんが、この映画を知らないはずはありません。敬虔なカトリックであるギブソンさんは、この映画にあきたらず、イエスの映画的イメージを塗り替えたくて「パッション」を製作したのでしょう。その結果「パッション」は、「人間は目を覆いたくなるほどの罪人なのに、神さまはそれを許してくださった」という、ストーリー上、どうかんがえても無理のあることを、メッセージとして伝えようとしています。
「最後の誘惑」は、よりストーリーがしっかりしていて、「もしもあなたが救世主だといわれたら、どうする?」という感じです。平和に結婚して幸せに生きるのか、十字架につけられて死ぬのか。
そのイエスがやたら「愛、愛」というのは、ちょっと残念。
いずれにしても、「最後の誘惑」を見ると、「パッション」がいかに映画として駄作か、よくわかります。