キヤノンとカネボウ (新潮新書)
47才でカネボウからキャノンに転職した著者が、自らのサラリーマン人生を振り返り両社の文化を語る。筆者は寡聞にして知らなかったが、著者の横田氏は化粧品のマーケッティングでは著名な方だそうだ。
カネボウは戦前アジア全域に鉱山まで持っていた巨大な国策会社であった。しかし戦後は基幹の繊維部門がアジア各国から追い上げられて不振を極め、ついに粉飾決算をおこなって会社が消滅した。著者がカネボウを移ったのは上場廃止(2005年)の10年前、1995年のことだ。当時はカネボウがなくなるなど思いもよらなかったに違いない。著者はカネボウの経営層に愛想をつかして会社を辞めた。しかし長年勤めた会社に深い愛情がある。カネボウ時代の回想からはそのことが痛いほど伝わってくる。
消滅した名門企業カネボウと今や飛ぶ鳥を落とす勢いのキャノン。本書の企画自体は対照的な両社の企業文化比較を意図したものだろう。
その意味でおもしろいのはP185の比較表。カネボウの役員会は昼食時、社費で5000円の鰻重つき。キャノンは毎朝8時から役員ミーティング。昼は社長も社員食堂。半分冗談と著者はいうが、なるほど社の雰囲気がよく伝わってくる。
もうひとつ面白かったのは「士農工商」の話。カネボウでは社員を「士農工商」になぞらえたそうだ。士は経営・管理スタッフ。農は工場労働者。工は技術者。商は営業。逆にキャノンは工農士+商だそうだ。これも含蓄が深い。
ただやはり著者はキャノンではなく、まだカネボウを愛しているのである。大げさに言えば人生のいちばんいい時期をカネボウと共に歩いた。そのカネボウへの、本書は、レクイエムとして捧げられたものであろう。
丁寧に書かれていて比較企業文化論としてもきちんと読めるが、著者のサラリーマン半生記として読むほうが感銘が深い。なかなかに良いい本であった。
経営不在―カネボウの迷走と解体
『経営不在』というタイトルに疑問をもって読んだ。
しかし、内容・構成ともに充実している。
三井家による創業後、武藤山治・武藤絲治を経て、
伊藤淳二時代に至るまでのカネボウ社の経緯を読む限り、
山治と伊藤による個性豊かな企業運営について、
それぞれ詳しく描かれており、
これをもって経営不在と表現するのはどうか。
当時の2人の個性と経営理念はきわめて盤石なものであり、
戦前から戦後成長期の市場に適応したのに対して、
伊藤が支配を引きずり過ぎただけ、と評価するのは、
ジャーナリストや評論家に好都合な見方であろう。
信念を貫く個性的な経営者の活躍を紹介しておきながら、
何をもって「経営不在」と言うのか。
理想を求める山治、ペンタゴン(5事業多角)経営の伊藤、
両名の経営理念は現代の経営者も十分、学ぶに値する。
著者の結論は、支援機構が主張するように、
個々の事業運営(再生)こそ重要であり、
全体としての企業運営(再生)は斥けられるべき、と読める。
しかし、それではあのBCGによるPPMと同様に、
中長期的な事業育成という重要課題が捨象されることになる。
市場での成否や粉飾といった問題は別として、
カネボウ社に壮大な経営理念とその担い手が存在していたことは、
紛れもない事実である。
結局、解体したではないか、という経済面だけに囚われると、
企業経営のもっとも興味深い面が隠れてしまう。
帆足時代以降、
メインバンクからの役員による守りの運営を揶揄しようとして、
山治・伊藤に比肩する凄腕がいないという事実を表現しようとして、
著者はこのタイトルを選んだのかもしれない。皮肉である。
しかし、そう理解すれば、納得できる。
ELECOM DGK-003BU クリーニングクロス(M)
息を吹きかけて拭えばきれいになります。まだ使用し始めたばかりなので、まだ少し硬いが、使って行くうちに程良い当たりになり使い易くなるでしょう。