魔法先生ネギま! 麻帆良学園中等部2-A 「3月:文化部4人組」
「魔法先生ネギま!?!声のクラスメイトシリーズ」も、とうとうラストの12弾となってしまいましたね~
少年マガジンにて大好評連載中の「魔法先生ネギま!?!」、最近では、ネギ先生のクラスの生徒さんたちの中でも、ほとんど登場のシーンがなかったザジや相坂さよにスポットライトをあてて紹介していましたが、この12弾では、そのうちの一人であるZazie Rainydayも登場しています。
今までがんばってCDを集めてきた方々も、ようやくゴールを迎えるのです。そう!、応募券を全て貼り、生徒証明書をゲットするのです!!私もどれだけ待ち望んだことか・・・
では、このレビューを読んでくださった皆さん、CDを必ずゲットしましょう(もちろん初回版狙いで)!!
キル・鬼ごっこ [DVD]
将来殺人を犯す可能性が高い遺伝子を持つ子供を無人島に集めて実験する。
題材としては面白い。ストーリー展開もまあ、いいかも。
だけど、途中の歌のシーンや、最後のダンスシーンは何なのか。最後に死んだ少年がむっくりと起き上がる所はぞくっとするほど良かったのに。配役にダンス&ボーカルのユニットDAIAMOND★DOGSを使ったのはそう言うことがしたかっただけなのか。殺人鬼コウスケのD★Dのリーダー東山くんはすごく良かっただけに、最後の主要メンバーのダンスが余計。
なので、星は2個減らし。
性犯罪被害にあうということ (朝日文庫)
これがフィクションなら、よく書けている、面白い、感動的だ、といった論評になるかもしれない。が、事実だと聞くと、あまりの痛ましさに、言葉を失う。
彼女は、格別無分別なことをしたわけではないのに、たまたま、たちの悪い二人組の男につかまり、レイプされた。犯人はわからずじまいだ。
この本は、その事件とその後の行動、人間関係、心の動きを、自ら書き綴ったものである。淡々と書いているが、その苦しい胸中は、行間からあふれるように伝わってくる。
==加害者は今頃・・・「連れ込んだ女が生理でさぁ」と友達に笑いながら話しているだろうか。そう考えると、悔しくてたまらない。 『お願いだから、反省していて』と思う。== これを読んだとき、一瞬『えっ、反省すればいいの?』と思った。むろん、本の中で全てをさらす義務はないわけだから、これを彼女の本心と取るべきかどうかはわからないが、事件を乗り越えるためには、いつまでも憎しみを抱えたまま閉じこもっているわけにはいかないだろう。いまとなっては、「反省」を求める以上のことは無理だし、実は、「反省している」見込みも薄いだろう。人は、ほんとに痛い目にあわなければ、まともな反省などしないのが普通だから。多分、加害者が友達に自慢話をしているというのが、真相に近いのではないか。それを許す伝統が、日本には根強く残っている。
この本は、その伝統の一部を突き崩し、この種の犯罪が簡単に起こってしまう環境を変えるのに、役立つと信じる。
性犯罪被害とたたかうということ
前作では「わかってほしい。なぜわかってくれない。辛いんだ。」という思いが、あまりにも強すぎて、周囲の人や家族との間に溝ができていた。
本書では、著者が歳月を経て、自分と同じ被害に遭われた多くの人達と交流を持つ事により、人間的な成長を見られて嬉しい限りだった。
自分自身で著した前作への反省の言葉、父母、元彼氏への感謝の言葉が素直に綴られていて、非常に好感が持てる。
裁判員制度における、強かん罪、強かん致傷罪の扱い方の違いに矛盾がある点を、初めて本書で知った。
青森で行われた裁判に、同席した際の経験も書かれている。
被告に対しての弁護人の言葉は、「被告人がいかに不遇だったか」を訴えるものである事に、憤りを覚えた。
性犯罪を犯した者は、再犯率も高いという。
また、父親と性関係を結ぶ少女からの相談など、著者の前作を読んだ被害に遭っている人達から多くのメールが届くそうだ。
お互いに同じ立場で話せ、相談できる人がいて気持ちが救われるのだろう。
著者が前作を出版し、実名で活動している事を非難する人もいたが、彼女が行動してきた意義は充分あったのだと思う。
他のレビュアーの方も書かれているが、表紙の著者の写真が実にいい。
横顔だが少し目線が上にあり、前向きで晴れ晴れとした表情。
前作を読んで心配をしていたが、本書を読んだことで、自分自身も心が救われた気がする。
性犯罪被害にあうということ
本書では、性犯罪被害に遭った小林美佳さんの心情が赤裸々に綴られている。
本書を手にした人の中には、興味本位であった人も少なからずいると思う。
しかし、そのことは大した問題ではない。
一人でも多くの人に読んでもらえば、それだけ著者である美佳さんの
想いが伝わる人が増えるのだから。
本書を読んで確かに言えること、それは
「少なくとも美佳さんは、性犯罪被害に遭ったことで、本書で語っているような心情に至った」
ということだ。
美佳さん本人も述べているように、性犯罪被害に遭った女性の全てが美佳さんと
同様の心情に至るわけではないし、他の被害女性の心情等に関して何ら統計的な
データを取ったわけでもない。
とはいえ、美佳さんが一人の女性として発する言葉は決して軽いものではない。
たとえ普遍的ではないにせよ、性犯罪被害に遭った女性が何を感じ、周囲の人たちに
何を求めているかは、ある程度は理解できるはずだ。
特に、被害の初期の段階で被害者である女性と接する行政及び司法機関の関係者や
医療機関、カウンセリングの従事者らは心しておくべき点は多い。
ただ、本書を実際に読んでみると、美佳さんが周囲の理解の無さに対して、
自己中心的な批判をしているとの印象を受けるかもしれない。
実はそれは誤解であることを知ってほしい。
元々、本書は最初から出版目的に書き下ろされたものではなく、美佳さんが
被害に遭ってから日々綴っていた心情を公表しただけのものである。
思ったこと、感じたことをそのまま書いているのだから、自分の想いと異なる
各種機関の対応や他人の反応について、批判のひとつも出るのは当然のことである。
では、なぜ美佳さんがそのような心情を公表したのか。
思うに、美佳さんだけではなく、美佳さんが相談を受けている性犯罪被害に遭った
多くの女性たちも、美佳さんと同じような想いを持っていることを美佳さんが知った
からではないか。
行政などの公的機関だけでなく、被害女性たちの周囲にいるもっと身近な人たちに
自分たちの心情を理解して欲しいとの想い。
この想いを理解すること、或いは理解しようとすることの大切さを本書では訴えて
いるのだろう。