黒革の手帖 DVD-BOX
実業的手腕を持つ女性による男性社会に対する非道なる挑戦、男を喰い物にするがカラダは許さない、というあたり「真珠夫人」を多分に意識して制作されたのでは。
「真珠夫人」の瑠璃子が高校時代の恋人を思い続ける純真さを秘めていたのに対し、この作品の元子は男性一般に対するトラウマ/疑心があり、信用に足るという確証を得るまでは、惹かれる相手にも心を開こうとしません。この辺のテレ朝のチョイス、評価出来ると思います。
作品の出来栄えについては、キャストやプロットに部分的な難があるように思いますが、概ね楽しませて頂きました。話の密度も丁度よかった。
泥臭い話である分だけ、俳優さんがエグい演技をするほどに輝くというこの素晴らしさ。皆さんもう好き勝手にやっていらっしゃるようで、撮影現場が作風に反して明るかったというのも理解できます。
目の前で初めて化けの皮を脱いだ元子ママ@米倉と対峙する橋田理事長@柳葉の、アンビバレンツな心境を吐露するシーンが好きです。あの顔はアクの強いギバちゃんじゃないと出来ないですね。
フジテレビ開局50周年記念 「逢いたい時にあなたはいない・・・」DVD-BOX
主題歌の『遠い街のどこかで』はミポリンのスローバラードの佳品。
私もこのドラマのまねをして、当時付き合ってたお嬢さんと、
新幹線のホームで長時間キスしてた過去あり。
今でいうばかっプル。。。
ノスタルジーのみなので、あの時間、このドラマをみて「青春」を過ごした人以外には、
特に観るべき点はないことは付け加えておきます。
狂気について―渡辺一夫評論選 (岩波文庫)
フランス・ルネサンス研究やラブレーの翻訳で知られる仏文学者 渡辺一夫の随筆集。暴力・狂気(非理性)・不寛容を静かに峻拒し続けたユマニスト(人文主義者、ヒューマニスト)。僕だったら理性や合理主義に或る種の抑圧や頽落を見出して己の疎外の源泉としてしまうところであるが、渡辺は理性的であることの良質な部分を決して手放そうとはしなかった。彼は、宗教戦争が酸鼻を極めた16世紀フランスに於いて穏当な理性と健全な懐疑主義と寛容とを保持したラブレー、エラスムス、モンテーニュを評価する。
モンテーニュ『エセー』からの次のような引用は、現代日本に於ける排他的愛国心の跳梁を思うにつけ、実に印象的である。"私は一切の人間を同胞と考え、・・・民族的な関係をば、全世界的な一般的な関係の後に置く。・・・我々の獲得したこの純粋な友情は、共通な風土や血液によって結合された友愛に普通立ち勝っている。自然は、我々を自由に、また束縛せずに、この世に置いてくれた。しかるに我々はペルシヤの王たちのように、我々自身をある狭い地域に跼蹐せしめているのだ。このペルシヤ王たちはコアスペス河の水より他に水を飲まないという誓いを立てて、愚かにも他の一切の水を用いる権利を自ら抛棄し、従って彼らから見れば、他の世界はすべて涸渇しているわけであった。"
「文法学者も戦争を呪詛し得ることについて」
平和時の人間に物質主義的堕落を見て戦争を精神主義的に賛美しようとする議論に対して、モーパッサンを引きながら、戦争を起こして利益を得ようとすることこそが物質主義であるとする箇所は、極めて痛快であり、昨今の幼稚な反平和的言辞に対する鋭い批判である。物質主義が戦争を求め、不寛容が戦争を支持する。
「人間が機械になることは避けられないものであろうか?」
政治・経済・法律・社会・宗教・学問 etc. の諸制度が物象化して官僚制に堕するとき、人間は制度の手段として巨大機構の歯車と化してしまう。諸制度を常にヒューマナイズし続けることが必要だ。つまり、人間性の観点から批判し続けること。
「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」
異物排除の欲望に覆われた社会は、次の文章を読んで寛容について再考すべきではないか。"秩序は守られねばならず、秩序を紊す人々に対しては、社会的な制裁を当然加えてしかるべきであろう。しかし、その制裁は、あくまでも人間的でなければならぬし、秩序の必要を納得させるような結果を持つ制裁でなければならない。更にまた、これは忘れられ易い重大なことだと思うが、既成秩序の維持に当る人々、現存秩序から安寧と福祉とを与えられている人々は、その秩序を紊す人々に制裁を加える権利を持つとともに、自らが恩恵を受けている秩序が果して永劫に正しいものか、動脈硬化に陥ることはないものかどうかということを深く考え、秩序を紊す人々の中には、既成秩序の欠陥を人一倍深く感じたり、その欠陥の犠牲になって苦しんでいる人々がいることを、十分に弁える義務を持つべきだろう。"
不寛容が溢れる現代に於いてこそ貴重な、懐の深い理性に包まれた評論集である。
イヌゴエ [DVD]
臭気判定という特異な仕事につく主人公。ある日、親の都合により押し付けられたフレンチブルドッグの「声」が聞こえる事に気づく。何事も合理的に割り切って考える主人公が、イヌの声を通して見せられた今までとは違った日常…。
実は、パッケージのポップなデザインと愛くるしい犬"ぺス(仮名)"の表情から、「動物大好き!犬とコミュニケーションできる素敵なおとぎ話」的な軽い映画を想像していたんですが、実際は違っていました。
この映画にでてくる犬は、ラッシーのように頭脳明晰でもなく、タロジロのように信念があったりするのでもなく、図々しくて下世話で愚痴ばっかり、人間なんて大嫌いという、「犬は人類の友達」を信じてる人がみたらガッカリするような犬です。まぁ、考えてもみると、犬からみた人間や社会なんてこの映画の通りなのだろうし、そういう意味では非常にリアル。
実際、これは犬を楽しむ動物映画ではなく、人間社会においてまるで空気を読めない主人公が犬との交流をきっかけに少しだけ成長する、まっとうな「人間ドラマ」だと思います。ただ、フレンチブルドッグのアクが強いので、観終わった後に印象に残るのは、やはり犬なんですけど…。あの顔で関西弁話されたら鬼に金棒です。
途中、主人公がある問題を探る部分で「あれ?」と思われる矛盾が一点あると思うのですが、物語の展開上は仕方ないのかなー。
臭気判定士という仕事の裏側、裏のある登場人物との交流、登場人物達の気持ちの変化等が核となり、物語は最後に爽やかな感動を残して終わります。設定は非現実的ですけど物語はあくまで等身大。シュールな笑いでくすっと笑える邦画コメディーが好きな方には最適な映画でしょう。
ボナンザVS勝負脳―最強将棋ソフトは人間を超えるか (角川oneテーマ21)
最強の将棋ソフト対トッププロ棋士の対戦ということで、世間を賑わした当の両者が対談を交えながら綴った書である。
人工知能の分野などに興味のある方は必見の書といえる。
特に第三章に書かれている、保木邦仁氏が述べているコンピュータ将棋の新たな可能性について、その内容には興味を引く。ボナンザがどのようにして構成され、どういう理論で作られたのかが分かる。そして、このボナンザに採用されたアルゴリズムが別の分野で応用されることを保木氏は期待もしている。
私が感じたコンピュータ将棋ソフトについてであるが、もっと与えられた持ち時間をコンピュータ自身が制御できるようになれば素晴らしいと思う。つまり、その一手に掛ける時間を持ち時間の範囲内で自由に使えるようになれば素晴らしいと思う。まだ人間の手が加えられているので、思考回路が曖昧なまま指している気がする。これからの課題かもしれない。
将棋の持ち時間については、本書でも渡辺明竜王が述べているので参考にされたい。