白球残映 (文春文庫)
思春期の頃,年上の女性に密かに寄せた淡い恋心。亡くして初めて知る父親の一面。片やトレードに出されたベテラン・プロ野球選手,片やリストラ進行中の会社に務める中堅会社員という岐路に立たされた2人の男の心境。輝かしい成績を残しながら家族愛のために突如プロ球界を去った男のその後。
野球をモチーフに,男なら誰でも経験するであろうほろ苦い思い出,挫折,郷愁などをさわやかに描いた短編集(5編のうち野球の描写が全くないものが1編ある)。素朴だが,素直に共感し胸に染みる傑作。
最近,ファンの意向を無視してプロ野球の枠組みを勝手に決めようとする傍若無人なプロ球団経営者がいるが,そんな人にこそ,この作品を読んで欲しいもの。プロ野球選手に憧れ,ただ無心に白球を追いかけた少年時代は誰にだってあったはずだし,そんな純粋な子供の夢はついえても,野球を愛する気持ちは大人になっても忘れない人が世の中にはたくさんいるはず。そうした人々が支えてきたのが今の日本プロ野球だと思うのだが・・・。こんな夢も希望もない殺伐とした世の中だからこそ,かえってまぶしく感じられる作品だ。
赤瀬川原平の名画探険 フェルメ-ルの眼
なるほど赤瀬川原平だったらフェルメールをこう見るのだろう。とてもおもしろい。それでは松本清張だったら同じフェルメールをどう見るのか? 残念ながら清張はいくつかの外国の画家についての評論めいたものは書いていても、フェルメールについては特別ない。そこで手前味噌だが、「宇宙に開かれた光の劇場」上野和男・著という本で、清張になりかわってこれを試みているから、一度読んで見る価値はある。たとえば古事記の好きな清張なら、フェルメールの中に”鬱”(メランコリー)という日本とヨーロッパをつなぐ象徴を見出すことだろう。”鬱”はパノフスキーというドイツ生まれの美術史家が主に提案した概念である。この本では清張のアムステルダム運河殺人事件の話からフェルメール論がはじまる。中央線に毎日乗って、人身事故のアナウンスを嫌でも聞かされるあなた、これこそパノフスキーの”鬱”の源泉なのですよ?
球は転々宇宙間 (文春文庫 (351‐1))
舞台は近未来のプロ野球界。ある出来事をきっかけにして、プロ野球界再編成が始まるのである。昭和57年初版(文藝春秋)。著者は、またかつて読んだことのある読者は、今まさにそれが現実化していることに驚きを禁じえないのではないだろうか。この本ではプロ野球界の変動が、地方自治、政治体制、果ては文化まで変えてしまうという、まことに奇想天外、痛快なストーリーである。これを読まずして野球ファンと言えるかと言えるほどの内容である。小松左京氏の「首都消失」といい、この年代の作家の「未来を見据える眼」の鋭さには脱帽である。著者・赤瀬川隼氏の略歴:「白球残映」で第113回直木賞受賞。実弟は作家・画家の赤瀬川原平氏。本書は氏の処女作で、第4回吉川英治文学新人賞受賞。