踏みにじられた未来
2001年に起きた「御殿場事件」を,犯人とされた元少年たちを中心に描いたドキュメント。事件を超簡単に説明すると,
・女子高生が,少年らから強姦されそうになった,と申告
・少年らがアリバイを主張
・女子高生が「犯行日」についてウソを吐いていたことを認めるも,事件は別の日にあったと改めて証言
・少年らに有罪判決(確定)
という奇妙なもので,客観的な証拠も無いのに有罪とするのはおかしい,というのが本書の主張である。
御殿場事件はウィキペディアにも記事があり,とりあえず事件の概要を知るだけで良いというのであれば,本書を買う必要は無い。しかしたとえば,女子高生はなぜ「犯行日」を偽ったのか,そもそも事件自体がでっちあげではないのか,元少年たちのアリバイはあるのか,といった誰もが抱く疑問に,本書はある程度の回答を与えてくれる。また「犯人」として捜査機関から扱われた場合,当人や家族がどんなふうにそれに立ち向かったのかについての興味深い一例を示している。
本書は,ジャンルとしては冤罪(が疑われる)事件を扱ったノンフィクションである。この点から見た場合,一応は十分な取材がされている点,およそ10年にわたる出来事を約200ページとコンパクトにまとめている点などは評価できる。特に1・2審の判決文を引用したうえで,それらが被告人の「有罪」を説得的に論じているかを詳細に検討した部分は読み応えがあって面白い。ただし,判決全文が引用されていないから,慎重な読者ならば判断を留保せざるを得ないだろう。本書は過去に放送されたTV番組を下敷きとしており,放送内容の一部は今でもテレビ朝日のウェブサイトで閲覧できるが,ここでも判決文の一部の引用しかない。
逆に「これはちょっと」と思われるのが,著者の法律知識の貧弱さ。せめて権力批判を行える程度の知識は仕入れておくべきだ。日本は法治国家なのだから,権力の濫用は法(律)の違反という形で把握される。その法(律)を知らないで,実のある権力監視ができるわけがない。たとえば,
「犯行日が1週間変わったことによって生まれる矛盾も含めて,裁判所は警察・検察に捜査のやり直し,調書の取り直しを当然指示するものだと誰もが考えていた」(p.71)
とあるが,一体どういう意味なのか。言うまでもなく,裁判所は警察・検察に対して捜査の指示権を持たない。検察官の立証が尽くされていないと判断すれば無罪を宣告するだけであり,仮に「今のままだと有罪にできないからもっと捜査しろ」と言えばそっちの方が問題だ。上記は1審での訴因変更手続に関して述べられたものだが,著者自身がこの制度を理解していないために意味不明な批判となっている。
その他,引用文の出典が明記されていなかったり(p.73),表紙の写真にキャプションが無かったり(おそらく「犯行」現場の写真と思われるが)と,丁寧に作られた本という印象からは程遠い。しかも時系列で記述されていないうえ,個々の出来事の日付を省略したりしているので,全体像が把握しづらい。
一方,本書が有罪判決を批判しつつ,この事件を「冤罪事件だと断定できる立場にはない」(p.195)と述べることは別に矛盾しない。冤罪と無罪は意味が違うからである。この慎重さを本書の全体に及ぼして欲しかった,という点では「残念」な本である。しかし,この事件や裁判を世に問う意義は認められると思われるので,ちょっと甘めの★3つ。
※2012/2/6追記:本書の末尾には,元少年たちが名誉回復のための措置をとることが示唆されていた(p.194)。毎日新聞(2012年2月6日朝刊)などの報道によると,2011年12月21日付で,被害者とされた元少女を相手取って,民事の損害賠償請求訴訟を提起したとのことである。