《イラン》ペルシャのサントゥール
音楽の授業で触れたMIDI音源に入っている「サントゥール」という楽器の
生の音を聞きたくて購入しました。
1曲目の「国外で迎えたお正月」という歌とサントゥールの奏でるメロディが
今までに聞いた事のない音階まわしだったので最初は驚きましたが、何度も
聞くうちに鼻歌で歌いたくなってくる中毒性があります。
でもペルシャ語の歌詞カードや和訳は一切ついていません。何を歌っているのか
まったく分からないので☆1つ減らしました。
ペルシャは今のイランなんですね。
大使館に問い合わせれば歌詞の内容を教えてもらえるかな?
ペルシャ猫を誰も知らない [DVD]
髪が長いのは反抗的。ジーンズをはいている奴は反抗的。こんな時代がアメリカやイギリスにもあったなんて、若い世代には信じられないだろう。ロックンロール=元は黒人音楽。ジーンズ=元は労働者の服。長髪=オカマ。アメリカやイギリスの自称良心的中流家庭の親にとって、こんな要素が詰まったロックは不良以外の何ものでもなかったのだ。
ロックが光り輝くには仮想敵が必要である。主流派を”敵”と位置づけなければならない。故に、ロックは本質的にアンダーグラウンドであり、カウンターカルチャーである。つきつめれば、ロック=インディ・ロックでなければならない。
ロック・バンドの最良のアルバムは、大抵がファースト・アルバムであり、メジャーになって洗練されてくるほど、”ロックの輝き”は失われていく。それがロックの宿命である。
イランは検閲が厳しい国である。しかし、それ故に仮想的に溢れ、ロックが輝ける素地がある。ネガルやアシュカン達にとって、ロックはカウンターカルチャーそのものだ。海外へ飛び出して活躍の場を求めるイランの若者の、エネルギーを内に秘めた、まさに最良の時を切り取って見せた”奇跡”のような青春映画が本作である。
また、検閲や予算などの不自由な条件を、創造性に転化することにかけては天才的なイランの映画人、その中でも最良の一人であるゴバディが撮った映画なのだから、この映画自体が奇跡である。
ただ、残念なのはこの映画を見た人の中には、抑圧=イスラムと短絡的に考えている人がいることだ。欧米人や日本人は、中東での抑圧的な事柄をすぐにイスラムと結び付けたがるが、抑圧的なのは”イランの体制=人”であって、”神”や”イスラム”ではない。見た目の敬虔さを要求する”体制=人”に対しては反発しても、”神”に対しては敬虔である人は多い。アメリカのラッパー達の多くも、敬虔なイスラム教徒である。
自由がないのはイスラムが原因ではなく、イスラムの名の下に抑圧する”体制=人”にある。”イスラムを都合よく支配に使う体制”と”イスラム=抑圧的と都合よく考える欧米人”の狭間に落ち、イスラム圏の普通の人々の本当の気持ちと文化と信仰が理解されないこと、これこそが問題なのだ。
Farsi Persian English Dictionary (Hippocrene Standard Dictionary)
ペルシャ語辞書の中でも手ごろな価格帯にあり、フランス語、アラビア語を多少なりとも囓っているひとには、至極、取っつきやすい言語なので(両言語からの借用語が膨大)、何か新しい言葉にチャレンジしたいひとには、いいのかも? 多少不手際のある辞書なので、図書館に常備してあるペルシャ語・日本語辞書を当初利用すると使いやすいかも。
ペルシャの市場&剣の舞い~オーケストラの玉手箱
まさに、時代を画した名人芸である。選曲、演奏申し分ない。しかし、最近また、演奏がフィドラーのスタイルにもどりつつあることは面白い。
フィドラーは、正規の音楽教育をあまり受けていないが、その感性の素晴らしさは、申し分ない。こういうう演奏家が現代には、少なく、今では懐かしい演奏だ。
Movies (Reis)
今宵懐かしの
バブリィー時代
六本木や心斎橋鰻谷界隈のエセリッチ層が
夜ごと通うクラブやバー
挙げ句の果ては
ファッションショーのBGMで繰り返し使用されていた
「コラージュミュージック」の最たる物である
1967年にBEATLESが
世に放出したコラージュロックの歴史的名作
「アイアムアウォーラス」
同時期に現代音楽というカテゴリーにて
シューカイ先生は活動していた訳であるが
やはり一気に表参道を歩く結果となった要因は 「SGT.ペパーズ…」や 「アイアムアウォーラス」の成功なしには 語る事は出来ないであろう
かたや評論家受けのすこぶる良いシューカイ先生
ルパートハインやアランパーソン、マッドジョンソン…
その技法はBritish Rockの重鎮達に心地好く受け継がれている
「ペルシアンラブ」
職人気質だけでは けして作り得ない
シューカイ独特の世界観が開花している
正しく歴史的名作である