さすらいの二人 [DVD]
「砂丘」「欲望」ほどは好きじゃないし、ジャック・ニコルソンが別に彼でなくてもいいような感じ出てるのが不満ですし、途中まではけっこう緩くてダルいんです。でも、ラストの長まわしの緊迫感が凄いので、この得点付けちゃいます。この部分で歴史に残る作品になった。
アントニオーニは欧州風巨匠監督の中ではかなり好きなほうかもしれない。ご冥福を祈ります。合掌。
さすらいの二人 [DVD]
このDVDの画質は、他のレビューではそれほど評価が高くありません。しかし、私の観る限り、決して悪いものではないと思われます。
リマスター技術の進歩のおかげで、最近は古い映画もピカピカな画質で楽しめるようになりました。そのこと自体は歓迎したいことでありますが、一方で、いつの時代に誰が撮った作品を観ても、画質が一様になっており、つまらなくなった感が否めません。観る人の好みにもよりますが、このDVDは、そのような意味では画質に古典的な味わいを保っており、優れた商品だと思います。
私は旧版を観ておりませんので、比較することはできませんが、このDVDでは、ミケランジェロ・アントニオーニ監督作品に特有の透明感と、60年代映画によく見られるざらつきを同時に楽しむことができます。私の印象では、全編にわたって両者が拮抗しているように思われましたが、観る人によっては、印象も相当異なることでしょう。
本作のように“通好み”と言われる作品が、良心的な価格で市場に出回ることは、日本ではあまりないことです。同じ監督の「欲望」や「砂丘」がお好きな方で、本作をまだ観たことがない方は、試しにご覧になってみると楽しめるかも知れません。
さすらいの二人 [DVD]
戦争ジャーナリストとしての名声や、型にはまった結婚生活、そして醜い現実生活から逃れ、全く別の男になりすましてさすらいの旅を始めるデビット(ジャック・ニコルソン)。大衆が期待するような記事を書いたり、予め答えの用意されたインタビューに嫌気がさしたデビットは、愛の不毛などという勝手なレッテルをマスコミに貼られ、いつしか大衆が望む作品を撮ることを期待されるようになった巨匠アントニオーニの姿とだぶって見える。
文化革命時代の中国の裏の姿をフィルムにおさめようとしたこともある、アントニオーニのドキュメンタリー作家としての批判的な目も健在だ。デビットがなりすました人物がゲリラ組織への武器密売人であったり、追悼番組作成のためデビット自身が取材したテープを編集するシーンに、実際の銃殺を撮影したドキュメンタリー映像を使ったりしている。
そして特筆すべきは、ラスト7分間の長回しによるシークエンスだ。デビットが昼寝しているホテルの部屋を映したカメラが、窓の鉄柵をすり抜け(?)ホテル前の広場を巡回し、再び部屋の中を映し出す。何者かに抹殺されたデビットの亡骸を見た、現在の女(マリア・シュナイダー)と過去の女(ジェニー・ラナカー)の対照的な反応が印象に残る。それは過去のスタイルに別れを告げ、新たなステップを踏み出そうとしたアントニオーニ自身の姿と重なっていたにちがいない。
中山悌一の芸術
中山悌一の歌は、リアルタイムでは聴いたことがなく、初めて録音で聞いたのは、「18人の名歌手が歌うシューベルトの魔王」という欧米のさまざまな歌手(女声含めて)のアンソロCDでした。そのなかで、日本語で歌われている中山氏の「魔王」を聞き、震撼しました。声もドイツ人歌手に遜色のない深いものですが、日本語が立っていて、初めてリートというものの真髄にふれた気がしました。
そしてこのCDセットに。三大歌曲集もゆったりしたテンポで、ある意味、オーソドックスに歌われています(こちらはドイツ語)が、やはり独特の情感があり、最近のドラマティックだったり、ささやくように歌い流したりするようなあちらの有名歌手のもの(ローマン・トレーケルとか、ヨナス・カウフマンとか)より、飽きない味わいを感じました。
しかし何よりもやはりすばらしいのは「荒城の月」や「二人の敵弾兵」などの日本語歌唱。言葉と音楽が一体になって、胸の奥に入ってきます。「マンドリンのセレナーデ」も全く違ったジョヴァンニ像をきかせてくれました。
(日本歌曲は習っていてもいまひとつぴんと来なかったのですが、それは、今まで聞いたCDが、日本語をローマ字として楽器のように歌っているからだったのだと思いました。)
高雅で誇り高い日本語に、楽器ではない「歌曲」の力を感じたい人はぜひ。
おとなの銀座
山内賢はさすがに声が低くなったよねー、と聴いていたら、おお。
日本一すてきなあの高音が健在!
和泉雅子もとてもかわいい!
少し前に、懐メロ番組に出演したこのコンビを見たときは正直はらはらしたものですが、スタジオ録音のよさで、ていねいに上手につくってある感じです。
今年いちばんぐっときたCDかもしれない。