大峯奥駈道七十五靡
靡の本来の意味は里だったそうである。大峯奥駈道が75里あったことから、大峯75靡と称していたが、次第に75の霊地の集まりと解釈するようになり、靡は霊地の意味に変化した。現在の75靡は明治に選定されたもので、全て古来のものではなくそのとき数合わせ的に入れられたものもある。また、古来のものでも現在どこか不明なものもある。本書は現在の75靡を比定していますが、第23靡乾光門を証誠無漏岳に当てている他は概ね登山地図の表記どおりです。吉野川畔第75靡柳の宿から第1靡熊野本宮大社に至る大峯奥駈道は、大峰山脈主脈縦走路にほぼ等しい。大峰の修行というと西の覗が有名で、靡もそういう険阻な所ばかりかというと第62靡笙の窟、第39靡都津門、第34靡千手岳、第28靡前鬼三重滝くらいで、これらは主脈縦走路から離れています。残りはおだやかな山頂や修験者の宿泊地跡が多い。伝統的建築物は第75〜71靡吉野側、第3〜1扉熊野側の麓を除くと第67靡山上ヶ岳大峯山寺、第10靡玉置山玉置神社ぐらいしか残っていません。また第26靡地蔵岳(子守岳)以南は登山道の両側は身長を越すスズタケ(ササ)となります。総合すると遠隔地からの登山では、稲村ヶ岳〜山上ヶ岳〜大普賢岳〜行者還岳または弥山〜八経ヶ岳〜釈迦ヶ岳〜大日岳の縦走が満足度が高そうです。山上裏行場、無双洞、前記の険しい靡、太古の辻以南の南奥駈道は京阪の登山者の皆さんにおまかせしましょう。写真は全てモノクロで、奥駈道、靡は地形図上に表示されています。
熊野、修験の道を往く―「大峯奥駈」完全踏破
本書は、140年ぶりに復活した大峯奥駈全コース修行の体験記。興味はあるけど参加はちょっとなあ…、という踏ん切りの悪い私にとっては、その内実をうかがい知る絶好の書であった。
息づかいが聞こえてくるような描写とともに、史実を織り交ぜながらの筆致は、神聖で険しい修験道を先達に従い歩く気分にさせてくれた。また、巻末に付された参加者達の語りは、日本人と信仰、現代と宗教、等々といった多少込み入った課題に対して、考える良い素材を提供してくれた。まあ、そこまで堅苦しく考えなくとも、「信仰なんて、むずかしく考えるからおかしくなるんだな」と改めて思ったりできた。信仰する気なんてない娑婆大好き人間のくせに、どこか神聖なものに引かれる、そんな自分には、なんかしっくりくる構成だった。
個人的には、おそらく、現在、日本の宗教事情に最も詳しい(フォト)ジャーナリストとしての著者の、その存在論的な根源、背景をうかがい知れたようで興味深かった。すぐれた体験記であるとともに、数十年にわたって日本の宗教と最前線で格闘してきた著書の(下町オヤジ臭の濃い)自伝として読んでも面白い。
欲を言えば、文中の写真、カラーで見たかったなぁ。宝冠の森から集落を見下ろした写真なんて、特にそう思った。写真集は出ないのかしらん?