アリア・ギャランテ~釜洞祐子オペラ・アリアの世界
始めて釜洞さんのアリアを聴かせてもらいました。日本人でこんなに自由に歌で表現できる人がかつて居たでしょうか!?この素晴らしいテクニック!! そして歌を自由に歌えるという事の素晴らしさを教えてくれるアルバムです。
ヴォカリーズ
ナタリー・デッセーは近年ナタリー・ドゥセという表記のほうが多いように思いますが、CDの標記に従います。
ナタリー・デッセーのこのアルバムは技巧、歌唱のどれをとっても完璧でしょう。歌唱に傷は見当たりません。選曲も実に考えられたもので、なにしろ歌心がある上に透明な声ですから、聞き惚れるという言葉しか思いつきませんでした。
彼女は今や当代随一のコロラトューラ・ソプラノかもしれません。リーフレットに書かれている岡本稔氏の「かぐわしい芳香を放つコロラトューラ」では、エディタ・グルベローヴァの裏キャストとしてナタリー・デッセーが登場して聴衆を魅了した話を披露しています。確かに書かれているように、ナタリー・デッセーの方がより女性的ですし、感情移入の巧みさ、表現力はグルベローヴァ以上でしょう。
このアルバムの選曲も一筋縄ではいかない曲ばかりです。それをいとも簡単に軽々と歌いあげ、そこに表情豊かな技巧が混じるわけですから、評判にならないほうがどうかしています。
1曲目のラフマニノフの「ヴォカリーズ」では、透き通るような声の魅力に頼ることなく、陰影を帯びた曲の表現力で今まで聴いたことのない水準へとリスナーをいざなってくれました。有名な曲だけに多くの歌手が取り上げており、それと比較しても最高水準の出来栄えでした。
グリエールの「コロラトゥーラ・ソプラノと管弦楽のための協奏曲」という珍しい曲を後半に収録しています。フルートとのアンサンブルも見事ですし、早いパッセージでも何の音程の狂いもなく、響きの当て方も均一で、お手本とも言える歌唱です。最高音の伸ばし方、そしてその輝きは最高でした。完璧としか表現できない名演奏でしょう。
ラストはヨハン・シュトラウス2世の「ワルツ ≪春の声≫」を軽やかに華やかに見事に歌いあげています。今まで聴いたことのない領域ともいえる表現力でした。
ムソルグスキー:展覧会の絵
久しぶりに有森博のアルバムを聴く事ができた。
今回は大曲であるムソルグスキーの展覧会の絵を中心に、ロシアの作曲家の小品が集められた作り手の思慮深さをうかがえる構成となっている。
有森の表現は実に逞しい。
ムソルグスキーの作品には、ホロヴィッツ、アシュケナージをはじめ名演に事欠かないが、有森の録音はその中でなお存在感を示せる質の高さがあり、かつ個性的である。
本演奏の第一の特徴はピアノの音色そのものである。
いかにも一本芯の通った、重さを感じさせながらも和音の響きは熟慮されている。
そもそもムソルグスキーが題材としたハルトマンの絵画は風刺的で、社会性に富んだ内容を持っていた。
それを踏まえ、当時の芸術家が蓄えたエネルギーを慎重に解釈して解法していく作業を有森はここで行なっている。
そうして聴かれる演奏は、ダイナミックで美しいが、どこか暗さを常に秘めている。
もう一つ。
このアルバムを通して聴くと、そこになぜかフレデリック・ショパンの面影が浮かぶのだ。
ショパンはポーランドの作曲家だが、パン・スラヴ主義的にはロシアの音楽家とも言えるし、ショパンの功績はどこよりも強くロシアで引き継がれていく。
ここに収められたあまたの魅力的なロシア小品は、いずれもショパンの影響を感じさせるのだ。
こうなると、ぜひ有森には満を持してショパンにも取り組んでもらいたいと思う。
ワルツ&アリア集
リタ・シュトライヒの高速ビブラートで歌われる「夏の名残りのばら」がオススメです。色彩に例えると青色。私のソプラノの評価は色彩感なのだが、その最高が香るような青。Summerがゾンメルと聴こえるのがゲルマン退廃芸術っぽくて、妖しい美しさを感じさせます。