ブリキの太鼓 2 (集英社文庫 ク 2-3)
ブリキの太鼓は、グラスが創作した非現実で想像を超えた独特の世界観で構成されている。
例えば、主人公オスカルは3歳で成長が止まっており、外見は幼児だが頭脳は大人である。
またオスカルは、自分の“声”で物体を粉々に破壊するという特殊能力をもつ。
自分の意志を高めることで、ガラスなどを自在に粉砕する。
さらにオスカルはある日、不良グループ一味に取り囲まれる。
オスカルは少年たちにこう言った−「私はイエス(キリスト)である」と。
少年たちのボスは全てを理解し、オスカルを新しいリーダーとして受け入れた。・・・
ここまで書くと、大友ファンならピンと来たはず。
アキラには、見た目は子どもで顔だけが年相応に老化した“大人子ども”が登場する。
彼らは超能力のように物体に手を触れずに破壊できる。
さらに同じく少年の姿をしたアキラは、混乱した世紀末的都市「ネオ東京」で、
救世主として祭り上げられる。・・・
SF世界を矛盾や破綻なく創造するには、
理想と現実とがお互い行き過ぎることなくバランスを保つ必要がある。
絵空事にならずに、なおかつ超現実世界を生み出すには、相当の技量がいるだろう。
子どもの純粋さと大人の成熟との同居や、
人間の欲望の一つである破壊衝動、
それに現実の世界と“神”の奇跡についての関係などを、
破綻なく築きあげたグラスにも大友にも賞賛を与えたい。
ブリキの太鼓 HDニューマスター版 [DVD]
商品情報は正しく表示してもらいたいものですが、この商品、HDニューマスターとありますが、それだけではなくて、HDマスターの通常DVDと、本当のHD−DVDディスクが入った2枚組みなのです。今や過去の規格HD−DVDですが、せっかくHD−DVDの専用プレーヤー買ってしまってお持ちの方は是非、ご購入されて損はしない映画だと思います。1979年度米アカデミー賞外国語映画賞受賞、1981年度キネマ旬報ベストテン第1位の名作ですから。画質は当然ながら通常DVDはHDのダウンコンバートなので、HDマスターという文句にそれほど期待しないほうがいい、という画質です(ただし別メーカーから出ていた旧盤の鬼のような悪画質に比べれば相当いいです)。もとよりテレシネに起因する問題があるのか、HD−DVDからしてさほど目の覚めるような、というほどの画質でもありませんでした。この程度の高画質なら、通常DVDでも、いいモノを探せばいくらでもあります。通常DVDしか必要ないという方は、単品にして値段を下げてもらうようにどんどん、メーカーにリクエストしたほうが良さそうです。(新たに加えられた商品情報によると、HDーDVDとの2枚組みコンボ・フォーマットは初回限定盤のみなのだそうなので、ご購入の際はお気を付け下さい)
ブリキの太鼓 (スマイルBEST HDニューマスター版 スタンダード・エディション) [DVD]
1999年版DVDを持っていますが、このDVDはチョッと観るだけでわかる程の画質向上でした。
音もすごくよくなっています。
(とはいえ1979年の作品だから現代の映画と比べればそれなりですが…)
この作品を初めて観たのが1999年版DVDだったので、今回のソフトでは違う映画を観ているような新鮮さがありました。
映像特典には監督のインタビューが入ってます。あと解説やスタッフキャスト紹介がいくつかあり。
現ポーランドのダンツィヒの運命をそこで暮らす三つの民族の間で生まれた少年を通して描いています。
楽しく奇妙で美しく怖ろしく悲しい、といった混ざり合った不思議な感動がある映画です。
予備知識なしでも楽しめますが、やはり時代背景 (特に第一次大戦後からナチスのポーランド侵攻)を知っておくとより理解しやすいし楽しめると思います。
とにかく…
値段も安く、質も非常に向上。 ここだけでもすでに★5つです。
錻力の太鼓 (CCCD)
前作とともに本盤のノンCCCD・リマスター盤がジュエル・ケース盤ではあるものの
既に2006年5月にリリースされたので本アルバムの存在意義は、CD本体
ではなく封入されたミニ写真集とでもいうべきブックレットとオマケCDであろう。
フィン・コステロ氏によるその写真はおおむね、モノクロであり彼等の
キャンプなイメージからは逸脱していて興味深い。
当時既に毒々しいメイクアップからは抜け出て、「ヤング・アメリカンズ」の
頃のボウイ氏のようにさえ見える。つまり洗練。
また当時の客演に敬意を表して土屋氏の画像も。
土屋氏の存在は彼等と並んでも全く違和感なく、あの強烈な
ルックスは彼等バンドに別の凄みを与えたかのようでもある。
しかし何よりオリジナルと差し替えられたこのアルバム・ジャケット。
京都とおぼしき場所で撮影されたこの写真の出来は素晴らしい。
残念ながらこの写真を使用しているのは2003年CCCD・ディジパック盤のボックスのみ。
オマケCDはさして貴重な音源と思えずまずは聞く事もないであろう。
何よりリマスタリングが冴え渡り、プロフィット5の不安定なシンセと
ジャンセン氏のリズム・セクションのセンスの良さと技術力の高さが
確認出来る。
但し前作まで彼等が醸し出していた妖艶で危険な香りは
ここには全く存在せず無機質なモード系の音楽の一つでしかなくなっている。
プロダクションを任されたロクシー人脈のスティーブ・ナイ氏の仕事の中では
疑問点の一つ。ここはジョン・パンター氏の任せるべきだったのでは?
ここで奏でられる音楽と当時のYMOの音楽との差異を見つけるのは極めて
困難。
YMOと同じく自家中毒に陥って崩壊する様がまるで見えるかのよう。
ブリキの太鼓 1 (集英社文庫 ク 2-2)
正直なところ、ようやく第一部を読み終えた、というのが率直な思いである。
特に難しい単語が使われているわけではない。
でも、この小説は他の小説で同じ分量を読了した時より、数倍疲労感がある。
この小説は書かれた内容をそのままに捉えるのではなく、
当時の漠然とした不安な世相や、人間が根源的にもつ欲望や心理など
いままで数多くの小説家や芸術家が、その完全な描写化に挑戦したが
表面をなぞるだけか、あるいは全くの失敗に終わっていたものを
グラスはこの作品により、描写化への完成へ大きく近づいた
というようなことが一般的な評価だろう。
つまり、この小説ではそれぞれの表現に隠喩(メタファー)が存在し、
すなわちオモテとウラとで多面的な意味が盛り込まれているため
読者は隠喩を正確に読み解かなければ、
いくら読んでも作者の意図の数パーセントも理解できていないという、
まさに読者の読む力が試される恐ろしい作品なのである。
そう、この小説の正体はまさに、3歳児のこどもである。
表面上は、ニコニコしたイノセントな子どもに見える。
しかし、無用心に近づくと本当に痛い目にあう。
3歳の子どもなのに、大人と接する時以上に体力と精神力がいる。
やっかいだ。理解不能だ。子どもって何考えているのかわからない。
自分のペースを完全に壊されてしまう。疲れる。
でも楽しい。愛らしい。複雑な気分。