紅蓮の女王―小説 推古女帝 (中公文庫)
推古女帝が即位するいきさつ、それを裏で操り、さりげなく勢力を増している蘇我馬子。政治家としての馬子の活躍と、推古女帝の激しい愛情を描いた作品。面白かったですよ
天風の彩王〈下〉―藤原不比等 (講談社文庫)
強運と頭脳を最大限に活かし、どんなに大きく難事な野望でも必ずやり遂げる強さを持つ不比等。縮んだバネのように鬱屈した少年期(史ふひと)から、彩り豊かな大輪の花を咲かせた人生(不比等)へと前進する過程を爽快に描いている。 まさに、天から神風が吹いた一瞬一瞬が散りばめられた人生である。
斑鳩王の慟哭 (中公文庫)
聖徳太子に関する小説は意外と少ない。それはあまりにも謎に満ちた人物と言う事と、歴史的資料が少ないからだそうだ。
歴史小説を書く場合の鉄則として、史実は曲げないという事があるという。史実を曲げてまで書いては小説であっても許されないのだと何かで読んだ記憶がある。
この小説はそんな制約の中で聖徳太子という人物像を出来る限り正確に描く努力と、小説としての面白さも充分発揮しており楽しめる作品となっていると思う。私はこの小説を読んで聖徳太子に改めて興味を持った。
落日の王子―蘇我入鹿 (上) (文春文庫 (182‐19))
「紅蓮の女王」「天の川の太陽」に続く、黒岩重吾の古代史ものの第三作目にあたる。
蘇我入鹿といえば日本史上の稀代の悪人としての印象が定着している。なぜ黒岩は
入鹿を三作目の主人公に据えたのか?それは黒岩の現代ものを読めばわかる。彼は
悪をずっと描いてきた。といっても単純な悪ではない。黒岩は自らの随筆の中で「悪の
中に悲しみと善を、善の裏の醜と悪に反応する」と語っている。本書に登場する入鹿も
大悪党ではあるが、そこに男としての美意識があり、哲学がある。「野生の荒々しさと
知性が見事に交じり合」った傑物として描いている。乙巳の変についても、傲岸不遜の
逆臣・入鹿が成敗されたといったような単純な話にはしていない。それどころか入鹿と
中大兄皇子・中臣鎌子らが目指していた方向は同じであって、ただその主導権を誰が
握るのかをめぐっての争いであったとの認識に立って物語は進んでいく。(下巻に続く)
天翔る白日―小説 大津皇子 (中公文庫)
日本初の専制君主天武天皇の血を引く二人の皇子、大津皇子と草壁皇子。皇后は息子、草壁皇子に天皇になってもらいたいと考えているが、人間としての器ははるかに大津皇子のほうが上。そのため、皇后にとって大津皇子の存在が目障りでたまらない。天皇としてもそれ事はわかっているけど、皇后を無視することも出来ない。そんな微妙な立場の大津皇子の生き様を描いた作品です。