レッド(1) (イブニングKCDX)
ネタバレになるので書きませんが、誰々がいつどうなる、という定めがあらかじめ作者の記述にてはっきりされています。
左翼漫画ですが、うざいサヨク思想なしで展開ありきの漫画。読み初めたら続きを読みたくなります。
今度既刊を揃えたいです。
明日また電話するよ
既発表の作品からの山本の自選短編集(作者自身の短いコメント付)で、初出年の一番古いのは「渚にて」(95)。ただし発表年順の配列ではなく、巻頭は「みはり塔」(97)、続いて「ぽつん」と「泳ぐ」(共に98)。作者は意味もなくこう並べたわけではないだろう。
「みはり塔」は浪人生が離婚して帰郷した従姉とグッチャングッチャンになった後、2人で町の高台の展望台に行って町を見下ろすラスト。で、従姉が「あの窓の一つ一つの向こうにちゃんと一人ずつ暮らしているって、なんか不思議な感じだ」なんて呟く。山本作品では、「たかき屋にのぼりて見ればヨガリたる民の寝部屋は賑わいにけり」みたいな場面にしばしば出くわす。親密圏の核心とも言える、ほとんど動物のように没倫理な性愛への惑溺と、世界全体を俯瞰する高みからの視線の対比、と言っていいんじゃないか? 山本の別名が、森山塔だったワケだしね。
「ぽつん」は昔の巨大団地(高島平?)みたいのが舞台で、まあ発情した女子中学生どもがいたりするんだけど、上の「あの窓の一つ一つの向こうに…」って呟きは、この作品では変質者の存在が代補している。「泳ぐ」には浜の漁師小屋が出てきて、そこで少女はいかにもガサツそうな中年男の慰みものになっているのだが、これは浜の見張り場でもありそうな小屋の中で秘事が営まれているという、視る/視られる関係の折り返しが感じられる。
表題作については『フラグメンツ(4)』へのレビューで触れたが、あれは少し補足・訂正が必要かもしれない。でも、このカップルに明るい未来が待っているようには思えないんです、私には。
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 [DVD]
1960年代から始まった、反米闘争。
それが大学闘争に発展し、そこから「資本主義を倒す」という
思想を持った学生が集まる。
参加する学生は、東大や京大、早稲田といった名門大学
に属する学生が多い。
彼らは「自分を犠牲にして国と闘う」といった決意をし、
大学を乗っ取り、事件を起こしてきた。
しかし、その結果もたらされたものは、
大学閉鎖と世間を騒がせたこと、そして今作の事件となった
「あさま山荘」など、暴力に訴えたものばかりである。
このような動きはその後も起こっている。
顕著な例としては「オウムサリン事件」が挙げられる。
オウム真理教信者には、名門大学の理系学生が多数いたという。
専門分野を勉強し、その道のスペシャリストになってみたものの、
世の中が全然改善されていないことに憤慨し、
圧倒的なカリスマ性(理念)を持った麻原率いるオウム真理教
へ入信する。
空中浮遊といったことでも絶賛し、教祖の全てを信じた結果
死者を生む事件を起こしてしまう。
これらに共通するのは「若者の熱意と限界」。
まだ知らないことが多い分、将来に対して可能性を感じ、夢を描き、
どんどん動いてけるフットワークの軽さと
動けば動くほど世の中の仕組みを感じ、閉塞感に苛まれる現実。
世間に対する思いに挟まれている最中だからこそ、
同じ気持ちをもった者同士で群れ、議論する学生が多いのだと思いました。
そしてその内に引くに引けない立場(中退、入信)に追い込まれ
やりたかったことと違うことでも、それを頭ごなしに受け入れてく様は
非常に悲しい思いを持ちつつ見ていました。
21世紀のための吾妻ひでお Azuma Hideo Best Selection
選者の山本直樹が巻末の作品解説で述べているが、結果的に「ブキミ」中心に選んだのが本書であると。「ブキミ」、それはマスク長髪で死んだ目をしたキャラクターで吾妻マンガ最大のスターと評している。当初の純粋に意味不明な行動で笑いを取る道具的なキャラだったのが、なにやら内省的なただ者ではない感を色濃く漂わせ始め、感情を表さない、表せない?その不変な表情と、実は葛藤を抱えまくる内面とのギャップがラブリーであり、吾妻ひでおの自画像の鬱状態バリエーションであるとも書いている。
正直、このキャラクターをそこまで注目して見ていなかった。う〜ん、深いな。しかし、この表紙はおじさんには恥ずかしすぎて人前では広げられないな。
世界最後の日々
有害コミックに指定されようが、採り上げた題材が一般社会倫理に反してようが
山本直樹の作品は純文学である。それは「本質的に不愉快で、読者に自己否定・
自己超克をうながす」という文芸評論家福田和也氏の純文学の定義において。
そしてその不愉快さの底にコロリと、この上なくリリカルな情景が転がっている。
冒頭の短編「この町にはあまり行くところがない」のラスト、
主人公たちが歩く線路際の、夕暮れの風景を見よ。
指先が痛くなるくらいノスタルジアに覆われたアンバーな世界と、
その前に佇むしかない私たちがそこにいる。
その美しい世界は、あちらの世界や宗教の言う楽園郷のように私たちを魅了する。
しかし近いがそこに手の届かない乾きに
私たちは肌を重ねることで応えているのかもしれない。
繊細な絵柄に騙されると、危険な毒薬のような作品である。