いまに生きる宮本百合子
作家・中條(宮本)百合子の実家=中條家と私の家は親戚である、と亡くなったお婆さんから聞いている。お袋にただすと「そういわれているけど良くしらない」と言う。中條家(医院)のお嬢さんと親しかった妹に聞くと否定的な答えである。現在は付き合いはない。百合子は福島県郡山市では大変有名な人でお祖父さんが安積疎水(あそかそすい)の開拓を明治時代に行い郡山市の中興の祖である。そこは郡山市の開成山公園になっているが親父の実家がある。子供のころよく遊びにいった。さて中條百合子は宮本顕治という男と再婚して宮本百合子となった。この男は戦後日本共産党議長になった。百合子は1951年に52歳で若死にしている。このへんの経緯は革マル派系作家の高知聡の「宮本顕治伝」(絶版)に詳しく書かれている。さて問題は早稲田大学で最も日共=民青活動家をリンチして学外に叩き出した記録保持者の私が宮顕の奥さんの親戚という奇妙な事態である。事実なら。人生とは不思議なもんだ。本書の辻井喬とは西武の堤清二のペンネームである。東大経済学部に進学して共産党員となる。オルグしたのは旧制東京高校で革マル派議長・黒田寛一のお友達、日テレ会長の氏家斎一郎。国際派に所属。その親分が宮顕。北大の宮本太郎は宮顕の倅だが後妻の子供だろう。党員かどうか不明。
話がそれたが。しかしほんとに親戚なんだろか?複雑な気持ち。地元ではなかじょうと言うけどね。実家は大きな病院だった。