きことわ
今年の芥川賞受賞作と聞いて読みました。主人公の永遠子と貴子の現在と過去、または、現実と記憶の物語です。2日間くらいの内容と思いますが、心理面の記述を主体に豊富かつ的確なタッチで描いています。女性らしい繊細な感じを与えるとともに天賦の才能が感じられます。私は過去の記憶と現在の出来事が互いに干渉しあいながら時間がゆっくりと流れているのだということを考えながら読み進めましたが、それ以上の物語ではありませんでした。私の読み方が浅いのかもしれませんが、この物語の中で筆者が何を言いたいのかということについては最後までわかりませんでした。また、読み終えることに多少忍耐を要したことも付け加えます。
ユリイカ2011年9月号 特集=B級グルメ ラーメン、カレー、とんかつ、焼きそば・・・日本にとって食とはなにか
「B級グルメに関するアンケートの郡司ペギオ幸夫の回答が面白い」という評判を目にし、以前から気になっていた『生命壱号』(青土社 2010年)と共に買いました。郡司氏の文章には独特のリズムがあり、内容も面白くて、楽しく読めました。
A級グルメは、全ての材料が各々部分として全体の調和の中に位置づけられる、と特徴付けられるのに対し、B級グルメは、部分でしかない特定の材料(焼きそばの芥子など)が全体を乗っ取る勢いで口の中に広がり、乗っ取りの失敗と共に全体の調和の中に消えていく、と特徴づけられています。部分による乗っ取りが、お約束のキレ芸のように、人々に認知されれば、B級グルメの特徴は薄れ、A級グルメとしての居場所を確保することになります。そのようなときがいずれ来ることが予感されることも、B級グルメの特徴として添えられていました。
これを書いている私は、ユリイカ2011年9月号の郡司氏以外の文章はほとんど読んでいないせいか、部分である郡司氏の文章が私の中で収束する気配がないのです。いまだに魚の小骨のようにのどに引っかかったまま、違和感を残しています。以下、揚げ足取りのように見えるかもしれませんが、私にとっては郡司氏に聞いてみたい内容でもありますので、ここに書くことをお許しください。
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さて、郡司氏の文章の冒頭部分に次のようなことが書いてありました。
『大学院での飲み会はいつも(当時の地元であった)仙台のみんみんで、レバーのから揚げとピータンばかりを食べていた。同じメンバーで大阪を訪れたとき、みんみんを見つけ、先輩が「ここなら安心だから」とそのみんみんに入った。(郡司氏は)「大阪に来てまでみんみんかよ」という憤りで、その味を覚えていない。最近になって、みんみんはメニューや味付けなどが、ある程度、店ごとの裁量に任されていて、店によっては個性的なメニューがあることを知った。神戸の三ノ宮のみんみんのお勧めは、黒炒飯と沖縄そばである。』
全体を読み終わってこの部分にとても違和感を感じました。
B級グルメからA級グルメへの移行には、大衆による認知ということがあるのだから、『(1)昔はみんみんの同一性を見ていたが、(2)最近はみんみんの差異を見ている』という構成にしてしまうと、(1)から(2)へ移行する中にある、みんみんの認知に関する観測が見えてしまいます。しかしそこには言及しないのですから、簡潔に、『神戸のみんみんの独自のメニューに黒炒飯と沖縄そばがあって…』と書けばいいと思うのです。
もう少し説明します。
むかし大阪でみんみんに入ったとき、メニューが仙台のみんみんと同じであることが信じられていたわけですから、「仙台と大阪の店の雰囲気や客層の違い」を同一化するみんみんという認知について知る絶好のチャンスだったわけです。すでにメニューが微妙に違うことを知ってしまっている今は、それも適わないわけですから、見落としていたのは、神戸のみんみんと仙台のみんみんのメニューの違いではなく、大阪でのみんみんの認知に関する観測の1回性ではないでしょうか?
理念的同一化によって隠蔽される身体的差異が、逆に理念的同一化を突破し、その残骸の中に黒炒飯と沖縄そばを見つけた、というわけですが、大阪と仙台の客層という理念的差異が、同じ人間としての身体的同一性によって解消され、みんみんの支持や認知をもたらすことについては置き去りにされています。簡潔に『神戸のみんみんの独自のメニューに黒炒飯と沖縄そばがあって…』と書けばそれは起こらなかったと思うと、何か他に深い意味があるのではないかと考えてしまいます。「昔と変わらずにみんみんで食べていることの照れ隠し」というわけでもないでしょうし。
そもそも、郡司氏は、仙台では、いつも同じ店で、同じものを注文していたのですから、むしろ、当時のその先輩の大阪での選択を受け入れそうなものなのに、憤りを感じたと書いています。これも分からないと言えば分からない。「憤りの原因は別のところにあったのではないのか?」とか、「研究室のS先輩と距離を置いていたことに触れておきたかったのか?」とか、ついつい「余計なこと」を考えてしまって、どうもいかんです。
と、書いたら、小骨もどっか行ったみたいです。
文藝春秋 2011年 03月号 [雑誌]
毎年、芥川特集のときだけ買う文芸春秋。
単行本2冊買うよりずっとお得だから、星4つにしておこうっと。
芥川賞の選評は、村上龍氏の意見がもっとも共感を覚えました。
この時代にあって、洗練というのは陳腐だと。
多くの人が、今は数百年に一度のパラダイムの転換期だと述べています。
百年に1度の不況どころじゃないわけです。
顱頂までずっぽり文学に浸って生活している人は、大なり小なりオメデたいところがあるのかな?
村上氏は財界人との交流もあり、
洋上に浮上した潜水艦のごとく、鼻から上は文学の沼から外に出してる人でしょ。
洋上の風向きをしっかり受け止めての発言だから、共感を覚えるのかも。
それから苦情をひとつ言わせてください。
朝吹氏への受賞者インタビューのタイトル。
朝吹氏は「文学の名門」の話題、すごく嫌そうで、一所懸命否定する発言している。
どこがどう<苦悩>なのよ。インタビュー読んでも、どこにも「悩んでました」なんて
出てこないのに。むしろ、こういうことを話題にされるのが苦悩だったりして。
相手の発言に関係なく、最初にタイトル決まってたんじゃない。
西村氏の方と対照的にするために。
こういうの、インタビュイイーに対しても、読者に対しても、不誠実だと思いまーす。
人生の残り時間を考えると、もう芥川賞を毎回熱心に読むの、止めようっと。
だって、新人賞だもんね。
ベテランの完成度の高い作品と、本当に破壊的に新しいものと、
もう、その両極端を楽しめばいいや。
るんるん。
早稲田文学増刊π(パイ)
単行本が出るまで安心出来ないので雑誌を購入。
異様な文体模写がずっと続くのかと思いきや……ギャ〜! 面白すぎる!
「君は本当の○○を知らない!」というキャッチフレーズはこの作品のためにある。
文豪のクローンが作品を書くことによって、未知のエネルギー「青脂」を生成させるのが前回のあらすじ。
冒頭は前回同様、中国語と造語が連発するサイバーパンク風味なんだけど、それからあれよあれよと予想外の展開。
延々と続く秘密基地、水上人文字、下水オペラ、巨根教団、並行世界……何を言っているのかわからないと思うけど、それだけで話が一つできるようなガジェットが次々と出てきては、すぐに舞台も物語も移ってしまう。この惜しげもない使い捨て感に意味があるように思えてならない。
特に水上人文字は最高!
とにかく、続きが楽しみ。
この2回目だけでもオススメ。
ユリイカ2010年11月号 特集=猫 この愛らしくも不可思議な隣人
ユリイカの猫特集。
猫好きの人々が多方面から興味深い考察をしています。
猫飼いなら思わず「あるあるあるある(笑)」と言ってしまいそうなエピソード満載です。
お気に入りは、いがらしみきお氏のシュールな4コマ漫画と写真家アラーキーの愛猫チロのくだり、
精神科医斉藤環氏の、いきなり「猫を飼うのはおすすめしない」から始まる一文にも大変納得、共感(?)させられました。
ほかにも、著名な作家たちが著作の中で猫に触れた部分を抜粋など盛りだくさんです。
古今東西の猫スキーさんたちのおかげで、猫好きの自虐的な愛情表現を思う存分堪能できました。
ありがとうユリイカさん。