縮図・インコ道理教
この小説の最大の美質は、この短さにあると思います。128ページ!!
そして、「神聖喜劇」では架空の人物にしかありえなかった、
博覧強記的、写像的記憶力がワープロソフトの「コピペ」で可能になってしまった今、
そのことを隠しもせず、小説を書いてしまう作者の超絶技巧に驚きます。
すぐわかる薄っぺらな駄洒落のようないろいろな人物や団体の「命名」自体、
この小説のための技巧だと気付きましょう。うまいなあ。
過去の作品を読んでない人程是非、読んでいる人も是非。
神聖喜劇〈第2巻〉 (光文社文庫)
軍隊もの、確かに。エンターテイメント小説、確かにそう。
そうなんだけれど、この日本文学の金字塔「神聖喜劇」とはいったい何だったのか、について考えるとき、
それらの諸要素はあくまで付随的なものでしかない。
とことん「おのれ」を見つめ続けたことによって、また「人間」というものについて考え続けたことによって生み出されたものであることは間違いないし、また日本封建社会の言いしれぬ闇と、その問題に直面したときの人間の心の状態をこうまでも見事に観察、描写したものは滅多にない。
神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)
第1巻から第5巻まで全巻を通してのレビューになりますが、この大長編小説に関しては様々な研究論文も書かれているようですが、一切読んでおりませんので、あくまでも私個人の感想に過ぎませんが、「これは、吉川英治の「宮本武蔵」のパロディなのではないか」との印象を強く持ちました。作者は、戦中の代表的な教養小説である「宮本武蔵」をパロディ化することで、日本人の情緒に支配された「非論理性」を乗り越えようとしたのでしょう。
主人公である東堂太郎は、宮本武蔵の「剣」を、「知識」と「教養」とに持ち替えています。東堂以外の登場人物についても、「宮本武蔵」の登場人物に当てはめてみると面白いです。たとえば、村上という人物は、佐々木小次郎。作中もっとも魅力的な登場人物である大前田は、沢庵和尚と宍戸梅軒ですね。
そこで思い出したんですが、内田吐夢監督の映画「宮本武蔵」5部作(1961〜1965年)で沢庵を演じていたのは三國連太郎さん、同じく吐夢監督の遺作であり「宮本武蔵」番外編でもある「真剣勝負」(1970年制作、1971年公開)で宍戸梅軒を演じていたのも三國さん。大前田は、若い頃の三國さんのイメージです。勝手な解釈で申し訳ありませんが、作者の大西巨人さんも、HP「巨人館」での「映画よもやま話」の中で、「内田吐夢の映画が好きだ」と発言しておられましたので。
地獄篇三部作 (光文社文庫)
■大西巨人の未発表小説が単行本化された。「第一部笑熱地獄」では敗戦直後の日本文壇の状況がシニカルに、パロディを交えて描かれる。「第二部無限地獄」は地方都市に住む29歳のインテリ編集者と17歳の少女との恋愛を描き、男の罪ある過去の恋愛を回顧する。「第三部驚喚地獄」は「第二部」の小説を架空の文芸誌が紹介するという内容。いずれにせよ一筋縄ではいかないただならぬ作品集。