おとうと [VHS]
1990年にテレビドラマとして放映されたもので、DVDでは発売されていないので、中古ビデオでしか観る事は出来ない。当時由貴ちゃんは24歳くらい、キムタクは19歳位だが幼く見える。内容はこれといって特筆するものではない。由貴ちゃんのファンなら楽しめると思うが。
1990年にテレビドラマとして放映されたもので、DVDでは発売されていないので、中古ビデオでしか観る事は出来ない。当時由貴ちゃんは24歳くらい、キムタクは19歳位だが幼く見える。内容はこれといって特筆するものではない。由貴ちゃんのファンなら楽しめると思うが。
台所のおと (講談社文庫)
幸田文さんの作品は、凛とした文章と相まって、読んでいて姿勢を正したくなるものが多いのですが、その中でもこちらの作品集の標題作「台所のおと」は格別です。
背筋が自然と伸びます。
疲れてどうでもよいやと思ってるときの雑な包丁の扱いに、
いらいらしているときの八つ当たりのようなガツガツした切り方に、
ふと気づいた時、「台所の音」の一節を思い出し自分が恥ずかしくなった事が何度あったことか。
そういう時は、姿勢を正し、作品の教えに寄り添うように、丁寧に丁寧に作業をするのでうsが、そうしていくうちに、自分自身が立ち直るのを感じてほっとするのです。
自分だけかと思っていたのですが、友人達にも多数、同じ経験をしている人がいました。
それだけ彼女の作品は読み手の生活に直接訴えかけるものがあるのだと思います。
そしてそれは彼女の作品が、例えば、台所の音、ぞうきんのかけ方(「父・こんなこと」参照)、外の景色の移り変わりをきちんと感じ取ること(「流れる」など)、着物の選び方(「着物」など)など、
そういった一つ一つの日常茶飯事を丁寧に見つめ、身体にしっかり身につけてきた中で生まれてきた物だからだと思います。
だから凛とした彼女自身の背中を見つめるような気分になって、「私もきちんとしなきゃ」と思えるのだと思います。
また、彼女のそういった視線は人の心の機微にも同じように注がれています。だからちょっとしたエピソードがとても心に響く。
その点では、この作品集所収のものでは「濃紺」という作品がお気に入りです。
そうそうある友人は「生活がおろそかになっているなと思ったら幸田文を読むのが一番効く」と言っていました。
素晴らしい作品はたくさんあるけれど、読み手の生活を変えちゃうっていうのは文さんの作品ならではだと思います。
幸田文しつけ帖
幸田露伴の娘「幸田文」著、その娘「青木玉」編。
慶応3年生まれの父:幸田露伴のその難解なしつけ。
それを見方によってはコミカルに記した幸田文の文章は軽快である。
薪割りから掃除、野菜の切り方等などさまざまな「しつけ」が続く。
今では使われない単語も多く出てくるが、明治生まれとは思えないテンポのいい文章。
読んでよかったと思える1冊。
流れる (新潮文庫)
幸田文が自らの体験に基づいて記した作品。文の父親は文豪、幸田露伴。露伴は文に対して家事全般を叩き込んだのは有名な話です。そんな文が作り出した物語。主人公の梨花(文のこと)からは、日本女性の内面の美しさがあふれだしており、その美しさが文章までを輝かせています。綺麗な日本語というより、「東京語」なのでしょう。標準語ではない、東京語。物語の中に、梨花が書く文字だけでうならせる場面があります。こんなところが素晴らしいのです。露伴の教育は家事という表の部分でなく、家事を通して日本女性の心や所作というものを伝えたのでしょう。そしてそれを会得した文の紡ぎ出す物語で僕たちも日本女性を知るのです。女性を自覚している皆に読んで欲しい名著です。